初夏の風

初夏の風

 一昨年から大岡信氏の「折々のうた」を書き写している。原稿用紙に鉛筆で書く。以前は朝日新聞の「天声人語」であったが、年とともに「詩歌」を書き写すほうが心穏やかな時間を過ごせる。

 大岡氏の「折々のうた」は朝日新聞に1979年から掲載が始まり2007年まで続いた詩歌のコラムである。2017年大岡信氏が86歳で亡くなられた時、テレビや新聞の追悼の文を読み「折々のうた」を知り一年かけて書き写し続けた。岩波新書で刊行されたものは19冊あるようだが、復刻された第一巻以外は絶版になっている。

 最近「折々のうたー春夏秋冬」(童話屋)を見つけた。これは谷川俊太郎氏らが「折々のうた」から抜粋し、春夏秋冬の4冊にまとめられた詩集である。各季節の歌から67〜68句を掲載し、手のひらに入る大きさのハードカバーの本である。装幀・画は安野光雅氏が施された美しい本である。

 「なつ」の最初の歌は「かぜとなりたや」(川上澄生)である。「かぜとなりたや はつなつのかぜとなりたや かのひとのまえにはだかり かのひとのうしろよりふく はつなつのはつなつの かぜとなりたや」。大岡信氏の解説が素晴らしいので引用する。「詩人画家川上澄生木版画『初夏の風』に彫られている詩の冒頭。ドレスのスカートを吹き上げられて恥じらっている乙女を中央に、緑のいたずらな風が踊る伸びやかな風景が描かれている」と解説しておられる。

 川上澄生木版画をグーグルで調べ、その版画を見て改めた大岡信氏の解説文の素晴らしさに驚いた。ちなみに棟方志功はこの一点を見て版画を志したという。

 初夏の早朝この詩を読んで「これは!」と感動した。一片の詩が私の心を掴み、生きる喜びをもらった。私の人生に詩の世界はなかったが、大岡信氏の素晴らしい選句と解説で未知なる世界に足を踏み入れることができた。感謝する。

 六月の風を読んだ歌に正岡子規の「六月を 綺麗な風の ふくことよ」もある。六月にはなぜか「かぜ」がよく似合う。新緑とかぜの組み合わせが良いのだろうか。

 傘寿を過ぎて、「終活や終活や」とか「アンティエイジング」と騒がずに、時の流れに身を任せ静かに過ごすのも、老後の楽しみ方である。

 曹洞宗道元禅師「正法眼蔵 生死の巻」に「生(せい)きたらば、ただこれ生(せい)、滅めつきたらばこれ滅(めつ)にむかひてつかふべし、厭ふとうことなかれ 願ふことなかれ」。好きな言葉である。

 

イノベーション

2018.6.5 イノベーション

 シリコンバレーでご活躍の桝本博之氏が講演の中で、イノベーションを「常識破壊」と定義されていた。日本では「イノベーション」は「技術革新」と訳されるのが普通である。

 技術革新の言葉から想像されるのは、19世紀のワットの蒸気機関の発明、20世紀に入ってからはエジソンの電球、マルコーニーの無線通信、飛行機、自動車などがある。新しい技術が複合しあって社会を進化させてきた。

 2010年頃から、AI(人工頭脳)が話題になることが多くなった。AIは専門分野では広く認識されていたが、我々の身近になったのは、将棋や囲碁で人間に勝った時からであろうか。

 いま世界の億万長者番付の上位はマイクロソフトビル・ゲイツ、アップルのスチーブ・ジョブス(故)、アマゾンのジェフ・ベゾス、グーグルのラリー・ベイジそしてフエイスブック、エア・ビー・アンド・ビー、ウーバーのCEO達である。これらの人々の共通点はITである。

 しかし、マイクロソフトやアップルはコンピューターを作った。これは技術革新である。しかしその後アマゾン、フエイスブックやウーバー、エア・ビー・アンド・ビーなどは、そのコンヒューターを駆使してネットワーク事業を構築していった。そこには新しい技術革新はない。桝本博之氏が今のイノベーションは「常識破壊」と定義したのはこのことにある。

 アマゾンのジェフ・ベゾスは、販売者と消費者をネットワークを使って結びつけた。エア・ビー・アンド・ビーは民宿予約のウエブサイトである。ウーバーはドライバーと乗客を直接つなぐ配車システムである。フエイスブックもネットワークを使った個人の情報発信や情報共有のシステムだ。

 今では個人がネットワークを使っていろいろなことができる。過去の常識を打ち破った者が勝者になる時代である。

最近ではラインが上場した。またメルカリも近々上場する予定と聞く。昨年度の流行語大賞になった「インスタ映え」のインスタグラムも映像発信でたくさんの若者の人気を集めている。これらの共通点は素人の遊びで始まっている。

それが若者に利用され、そこに広告を挟むことで膨大な利益を確保した

 今、中学生の夢の3番目は「ユーチューバー」になることらしい。手軽に億の金が稼げるからだという。私の孫たちの関心事もやはりネットワークを使った仕事である。

 

 

食パン

食パン

 4月から大阪テレビで「大阪人の新常識 OSAKA LOVER」が月一回放映されている。その第一回の放送の冒頭が「関西圏のパン文化」であった。戦前大阪市内45店舗の直営店に「電気自動車」を使って配達していた「マルキ号製パン」が、堀江に東洋一のパン工場を持っていたと紹介していた。わたしどもが所有している北堀江の商業施設「COR」もその工場跡地である。「COR」を建設した時、地下からパン工場の窯跡のレンガが大量に出てきた。

「マルキのパン」の水谷政次郎氏はそれまで米麹で作っていた日本のパン製造に「イースト菌」を使い、製品の安定供給の道を開いた。「パン業界の恩人」である。関西はパン消費量日本一である。そのパン文化の基礎を作ったのが水谷政次郎氏である。

 食パン消費量は関西地区が全国に群を抜いて多い。総務省の統計によると、一位奈良市、二位神戸市、三位は堺市である。もちろん大阪も多い。これはおそらく水谷氏の「マルキパン」が大正時代から関西人に「パンの味」を教えたからであろう。戦後マルキパンはなくなったが、そこで働いていた職人が独立して街のパン屋さんとなり、関西のパン文化の基盤を作った。

 終戦直後の食糧難の時、ララ物資で最初に「ナンバ粉」(トウモロコシの粉、アメリカでは家畜の餌)が入ってきた。それを街のパン屋さんに持ち込み焼いてもらった記憶がある。この賃加工がパン職人の経営基盤を安定させ、関西のパン製造の技術を向上させたのだと思う。

 最近、食パンが美味しいと話題の店が大阪にある。その食パンはトーストするのではなく、ちぎって食べてくださいという。「もちもち感」が人気の秘密である。関西人はこの「もちもち感」が好きだ。食パンの切り方でも、関西は4枚切り、関東は5枚切りが好まれているという。

 この傾向を分析したものを読んだ。同じ粉物文化でも、関西は「お好み焼き」関東は「おかき」と嗜好が異なる。その差が食パンの厚みの差になっていると分析している。何か説得力がある。

 この食パンの原稿を書いていて、終戦直後の街の様子や食糧事情を思い出している。闇市、買出し、配給など覚えているのは後期高齢者も80歳を過ぎた人だけになった。昭和が過ぎ平成もあと一年。時代の移り変わりを感じる。

ドケチ

ドケチ

 最近の若い人が使うかどうかわからないが、我々後期高齢者が若い時、「ドケチ」という言葉をよく使った記憶がある。「ケチ」といえば「吝嗇」、鼻眼鏡をかけた高利貸しのようなイメージがあるが。「ドケチ」はなんとはなく、ユーモアが感じられる。大阪人の金銭感覚には独特なものがある。

 産経新聞ソニー生命のお金に関する都道府県の意識調査が掲載されていた。「自分は倹約家だと思う」と答えた割合が最も高かったのは大阪府の68%で、全国平均の54%と大きく上回っていた。大阪の家庭では昔から金銭教育が行われていた。「一銭を笑うものは、一銭に泣く」「生き金、死に金」など子供の頃親から聞いた人も多いと思う。

 大阪人の合理的な金銭感覚は、貯蓄額全国一位605万6千円で他府県を大きく上回っていることでもわかる。また「死に金」を使わない。「生き金」を使おうとする姿勢が、新しい商売を生む土壌となっている。

 大阪人の合理性が生んだ商売の際たるものは「ダイエー」であろう。品質の一定のものを大量にしかも安く提供し、主婦の心を掴んだ。東大阪で生まれた「回転寿司」にも大阪人の合理性を感じる。

 商都大阪には流通の先駆けになったものが多い。その中でも「木材市売」の発祥は元和元年1622年、大阪長堀の土佐藩の浜で始まっている。この市売という流通のシステムは、現代でも魚市場、野菜市場、生花市場などの生鮮商品を扱うのに一番適している。世界的に有名な先物取引システムは堂島の米の先物取引を嚆矢とする。

 少し大阪で最初に始まったものを調べた。「映画興行」(南街劇場)「市電」(九条新道花園橋から築港埠頭)豊中で始まった「高校野球」(当時は中等野球)がある。食文化では「板前割烹」も昭和2年、森川栄が大阪西区新町で「浜作」の看板を出したのが始まりである。当時、料理は板場で作り客の前へ運ぶのが一般的であり、客の前で料理するのは斬新的であった。いかに人気があったかは「浜作座楽屋を見せて金をとり」の川柳もある。

 金銭感覚から大阪を考察しているうちに、大阪の経済や文化への先取性を深く感じた。そのDNAを大切に関西復権の足がかりとしたい。次に起爆剤になるのは2025年開催予定の大阪万博であろう。

 

 

 

重老齢社会

日経新聞の(電子版)で「重老齢社会」の記事を読んだ。「超高齢者社会」という言葉は今までも良く見聞きしたが、「重老齢社会」という言葉は寡聞にして初めて知った。

 この3月の時点で後期高齢者が前期高齢者を上回った。前期高齢者と後期高齢者と合わせると三千五百万人となる。世界保険機構(WHO)は、人口の7%超は「高齢化社会」、14%超で「高齢社会」、21%超を「超高齢社会」と定義されている。その中で日本の高齢者率27%はずば抜けている。近い将来には、75歳以上が過半数になる。

 今までは少子高齢化問題として、将来一人の高齢者を何人の現役が支えるかが議論されていた。しかしこの記事を読んで問題は他にもあることを知った。

要介護の比率が後期高齢者になると23%となり、老々介護の問題、そして空き家の増大も深刻化する。それと一番気になるのは個人消費の約半分を60歳以上の高齢者が占めていることである。

 最近旅行会社のターゲットは資産を持った後期高齢者である。JR九州の「ななつ星」の値段を見れば一泊二日で20万円から60万円ぐらい、三泊四日で高いのは130万円ぐらい。その高額旅行でも申し込み殺到、何ヶ月も待たねばならぬ。いかに高齢者がお金を持っているかがわかる。若い者から見れば「ふざけるな」であろう。

 ところが今旅行をしている高齢者もいずれ認知症にかかれば、旅行はもちろんできなくなるが、問題は自分の資産の管理ができなくなること。日銀でも「最大の有価証券の保有者は年金基金ではなく、認知症の人が最大の保有者になる可能性がある」と指摘している。

 ある調査機関の研究によると、認知症の人は60代後半で60代後半では約2%、70代前半で約5%、70代後半では約10%ぐらいになる。株式などの有価証券の多くは70才以上が保有しており、その持ち主が認知症などになれば運用が凍結される可能性が高いと報告している。

 みずほ総合研究所の高田創チーフエコノミストは「2035年には最大150兆円の有価証券を認知症高齢者が保有している可能性がある。生きたお金が回らなくなれば金融面からも成長が止まる」と指摘している。

 私はまさしくこの真っ只中の重老齢者である。これからの五年間。高齢者の生き方のモルモットになろう。

 

 

 

 

 

スイス・アーミーナイフ

  グーグルのプロダクトマネージャーが、グーグルの検索エンジンを「スイス・アーミーナイフ」にたとえてプレゼンテーションしたことがある。「キレイかつシンプルでどこにでも持っていける。特定の用途向けの道具が必要になったら、すぐにそれを取り出して使うことができる」。素晴らしく説得力があり、このような比喩を使うことで自社製品を一言で説明する能力には驚いた。

 その「スイス・アーミーナイフ」には「旅客機の中で盲腸になった患者を、刃渡り3センチのナイフとはさみで手術した」という伝説がある。赤の全長6センチ、刃渡り3センチ、そしてハサミ、ヤスリ、さやの中にはピンセットと爪楊枝が組み込まれている。何時間眺めていても飽きない。心安まるものだ。

 文具小物にも趣味と実用を兼ね備えているものがある。なんとはなく文具売り場を見て回る人も多いと思う。単価が安いのでつい買ってしまう。例えばメモ帳やボールペン、シャープペンシルなどいつの間にか、ペン立ていっぱいになっている。そして不思議なもので同じものを買っている場合が多い。

 文章を書くのも記録保存するのも、今はほとんどパソコンに頼っているが、最近素晴らしいものを見つけた。コクヨの「スケッチブック」とプラチナの「プレスマン0.9」のシャーペンである。

「スケッチブック」は昭和24年に測量野帳として作られたもので、縦16.5センチ横9.5センチ、ページ数は40である。濃い緑色のハードカバーの表紙が付いているので、手のひらの中でメモを取るのに適している。また細い方眼罫が引いてあるので、いろんな使い方があるようだ。私は雑記帳として使っているが、絵の好きな人はスケッチブック、旅行の好きな人はスタンプ帳。70年間のロングセラー、値段は140円。

 今ひとつの「プレスマン0.9」 は2B の0.9ミリの芯が入っている。書いていくと自然に芯が繰り出してくる。出ている芯は鞘にしっかり支えられてぐらつくことがない。さすが新聞記者の取材を考えて作られたものである。これも200円前後。40年間のロングセラー。

 スイス・アーミーナイフ、コクヨのスケッチブック、プラチナのプレスマン0.9は私の道具の三種の神器。 良いものは良い。

 

 

 

 

 

お染風邪・お七風邪

 お染風邪・お七風邪

新春から二度インフルエンザに罹った。一月にはB型、二月にA型である。この20年来、夫婦共にインフルエンザに罹ったことがない。80歳にもなれば若い頃からいろんな流感に罹って免疫があるから予防注射の必要もないと、高をくくっていたが、A型やB型などは昔の流感とは違って新型なのかもしれない。

 一昔前は「インフルエンザ」と言わず「流感」と言っていたように思う。有名なのは「香港風邪」「スペイン風邪」など他国のせいにする命名が多かったが。坪内捻典さんの随筆に「流感以前には、お七風邪、お染風邪など女性の名がついていた」。とあった。

 江戸時代風邪が流行ると玄関先に「久松留守」と半紙に書いて貼ったという。今のようにインフルエンザの特効薬の「タミフル」「イナビル」がなかった時代、庶民の悲しくそしてユーモアのある抵抗に和みを感じるが、お七風邪やお染風邪は体力のない年寄りには死病であった。

 今は肺炎の予防注射、流感の予防注射があり、罹患してもよほどのことがない限り死につながることはない。平均寿命が伸びるはずである。

 話は変わるが私は今、高校の傘寿記念同窓会の出欠返信に傘寿になった思いを50字で書いてもらい「傘寿記念一言集」として皆様に配る準備をしている。卒業生450名中で亡くなられた方約100名、音信不通の方が約50名で残り300人名その内150名が傘寿になった思いを書いてくれた。すごい割合だと改めて驚いている。

 皆様元気で年相応の人生を楽しんでおられる。60代から三回のガンの手術を繰り返した人も「90才まで頑張るぞ」

80才を記念に終の棲家を作っている人、俳句を楽しんでいる人、コーラスを楽しんでいる人、「日本の科学研究の失速を食い止めるための会」を各界の有識者を結集して立ち上げた人。皆様の50字に凝縮された文章に人生の年輪を感じ、教養を感じた。やはり「年はただ取らぬ」と思った。今回返信してくれた同期生には認知症の片鱗もない。立派なものだ。

 これからは医学の進歩が一段と進み、よほどのことがないかぎり、なかなか死ねない。ただ恐ろしいのは「認知症」である。80才になった同期生の合言葉は「認知症」にならずに頑張ろうである。

 私の今年の夢は「認知症予防注射」の開発である。