ボット

「ボット」ってなに。わたしも初めて聞く言葉であった。「ツイッター の機能を使って作られた、機械による自動発言システム。語源はロボットから来ている。特定の時間に自動ツイートするbot、ユーザーのbot 宛の発言にリプライするbot、特定のキーワードに反応するbot 等、様々なbot が存在する」(ネットで検索)

 わたしは書いた文章を「ブログ」に投稿し、写真を「インスタグラム」にアップしている。どちらも閲覧者の「いいね!」の評価が気になる。なかなか「いいね!」をもらえない。文章はとにかく写真は少し自信があるのだが、評価されない。

 前回引用した福田直子氏の「デジタル・ポピュリズム」の中にびっくりするような記載があった。「ツイッターの書き込みのうち、ざっと4分1は『ボット』が書いている。・・・4800万ものアカウントが『ボット』という研究もある」。

 ツイッターフェイスブックで、ボットで「いいね!」を大量につけ、あたかもたくさんの人がその記事に賛同しているように見せかけ、世論操作に使われている。そのボットはネットで売られている。300ドルで「フリーメールアカウントを100個作り、自動ツイートで政府系のウエブサイトやネットショップに10万人の足跡がつけられる」という。あるサイトには「いいね!」1000個あたり10ドルで売っている。

 バングラデシュの首都ダッカで偽「いいね!」を生産している「クリック農場」があるといわれる。この農場では狭く暗い部屋に押し込められた労働者が「いいね!」1000個を一日1ドル賃金で生産している。

 偽「いいね!」が売買されるのは、例えばある歌手のCDにたくさんの「いいね!」がつくと、売上が上がるから偽「いいね!」を買う。この偽「いいね!」は選挙や国民投票にも使われ世論をミスリードする可能性がある。

 二回にわたってドイツ在住のジャーナリスト福田直子氏の「デジタル・ポピュリズム」を読んだ驚きを書いたが、その底流に欧米社会でネットでの世論操作に対する危機感を感じた。特にヒットラーの独裁時代と世論操作によって作り出されるデジタル・ポピュリズムとが重なり合った欧米社会の警戒感が伝わってきた。

 民主主義は倫理がなければ成り立たない。倫理がなくなればポピュリズムになる。

デジタル・ポピュリズム

この二、三年、大方の予想に反した投票結果となったのはアメリカの大統領選挙、イギリスのEU離脱である。両者は共に僅差であった。そこにロシアの介入があったと報じられている。

 今のフェイスブックツイッターを利用した世論操作のテクノロジーは我々の想像を超えている。その実態を集英社新書「デジタル・ポピュリズム」—操作される世論と民主主義—福田直子著を読んで知り愕然とした。福田直子氏は長年ドイツに在住のジャーナリストである。

「グーグル」「フェイスブック」「ツイッター」「アマゾン」は スーパーコンピューターを駆使して個人情報を蓄積している。そこで個人の「思想」「資産状況」「行動パターン」を把握し、購買意欲を煽ったり、選挙で特定の政党へ投票を誘導することもできる。

 欧米の若者はフェイスブックでニュースを見ている。そこへ特定のグループ向けのニュースを作って流し、マインドコントロールした結果がアメリカの大統領選挙とイギリスのEU離脱になった。この操作をしたのはロシアのプーチンに近い情報操作会社であると言われている。ロシアは冷戦に負けてから、アメリカ・欧州の一極集中の世界秩序を崩そうと画策している。

 大手の新聞社は必ず記事を検証しているが 「フェイスブック」や「ツイッター」のニュースや書き込みには、裏付けがない。フェイクニュース(嘘)がまかり通る。その恐ろしさはミャンマーの少数イスラム教徒「ロヒンギャ」への民族浄化とも言える排斥と虐待に繋がった。

 長年、軍事政権の圧政に苦しんだミャンマーで2015年に総選挙が行われ、やっと民主主義が到来したと言われたが、その後ロヒンギャ民族浄化が始まった。その原因を福田直子氏は、『フェイスブックがミュンマーの国営通信会社と組んで「無料」でネットを使えると宣伝し、自社の運営する閲覧サイトに国民を誘導した。その無料サイトの「検証されていない書き込み」に「ロヒンギャのギャングか東インドで子供を誘拐している」との流言飛語を流し、その報復でロヒンギャへの虐待が始まった。もしミュンマーがフェイスブックを受け入れなければこの事態は起こらなかった』と分析されている。

 ネットで情報を得、アマゾンで買い物ができ、便利な社会になったと思ったが、基本的な人権をも侵害される社会になるのか。

 

 

メルカリとライン

 

株式会社メルカリは、東京都港区に本社を置く日本の企業。フリマアプリ「メルカリ」のサービスを運営している。2013年に山田進太郎が株式会社コウゾウを設立、2016年に初めて黒字化した。(ウイキペディアより)今年6月に創業5年目で上場、株価は4000円台。早大出身39歳独身。総資産1000億円超。

 メルカリを乱暴に説明すれば「フリーマーケットの親分」である。個人の不要になったものの「写真」「商品説明」「希望価格」を「メルカリ」に登録する。メルカリで出品商品を見て、購入希望であれば出品者と直接交渉する。売買が成立すれば「メルカリ」に代金を送金する。「メルカリ」が入金を確認したことを出品者に知らせる。出品者は購入者に商品を送り、購入者がその商品に満足したら「メルカリ」に知らせる。「メルカリ」は出品者に代金を送り取引が完結する。

 「メルカリ」が創業5年で上場できた理由は①競売ではなく直接取引②断捨離ブームで不要になったものが売れる③代金決済システムが安心である④スマホで簡単に操作できる等々ある。5年で1000億円はアメリカンドリームならぬ日本ドリーム。

 2年前に上場した携帯電話通信システムの「ライン」の親会社は韓国の財閥だが、「ライン」は2000年に創業された純然たる日本の会社である。

 ラインには二つの側面がある。一つは中学生ぐらいの年齢の若者が「グループライン」で仲間外れを作って特定の子を「いじめ」問題になった。それでラインに対する警戒心が生まれた。

 いまひとつは「東日本大震災のとき」全ての通信手段がダウンした時、ラインが使えた。日赤の医療団がラインを組んで隊員のコミュニュケーションを計ったことは有名だ。今回の高槻の地震でも携帯電話がダウンした時ラインだけが使えた。

 最近私の周りでラインを始める仲間が増えてきた。80歳のおじいちゃん、おばあちゃんもその便利さと通信費が無料なことに気がついた。相手さえ登録しておけば、いちいちパソコンを開けてメールを打たなくても、音声入力で一万字ぐらいの文章が送れる。また電話も世界中で無料で使える。

 年寄りもタンスの中の使わないものを「メルカリ」で売り、無料の「ライン」を積極的に使い外部との接点を増やしボケ防止に役立ててはと思う。

 

 

 

 

 昨年のアメリカ大統領選挙から「フェイクニュース」という言葉がよく使われるようになった。「フェイクニュース」とは「嘘のニュース」である。インターネットが使われるようになってフェイクニュースが一瞬にして世界を駆け巡る。

 「ナショナル ジオグラフィック」の5月号に「なぜ嘘をつく」と特集していたので読んで見た。以降の統計数字は全て「特集」からの引用である。

 人間はなぜ嘘をつくか。①金のため ②権力を守るため(ニクソン) ③偉大に見せたいため(トランプ) ④悪事を隠すため ⑤データーの捏造(小保方)。嘘をつくのは「正直な対応ではうまくいかないとき」(心理学者 ティム・レバイン)とも分析している。

 また、人はよく嘘をつく反面、騙されやすい特徴もある。そして嘘をつくことは、子供の発達の目安とも言われている。

よく嘘をつく年代の統計がある。「24時間に1−6回嘘をつく」回数 6−8歳 36%、9−12歳 57%、13−17歳 74%、18—44歳 54%、45−59歳 50%、60−77歳 44%。この数字をみれば知能の発達の嘘との相関関係がわかる。77歳を過ぎれば勘定外とはどう考えていいのか。

 米アラバマ大学の心理学者ティム・レバインは「真実デフォルト理論」の中で「人間はもともと他人を信じる傾向があります」「私たちは他人を信じることで、とても多くのものを得ています。それに比べれば、騙された時の損害は大きくありません」

 以上からわかることは、「人はよく嘘をつく」しかし「嘘に対して寛大である」ことがわかる。考えれば自分がよく嘘をつくから、当然他人の嘘に対しても寛大にならざるを得ない。

 三省堂の国語辞典で「うそ」を検索した。「嘘から出たまこと」「嘘も方便」しかなかった。やはり人間は「嘘」に対して寛大である。むしろ「ホラ吹き名人」として一目おかれる人もいるかもしれない。

 前掲載の中に「常習的に嘘をつく人はそれ以外の人よりも前頭皮質の神経線維の量が20%も多い。繰り返し嘘をついた結果、ネットワークが発達した」との研究報告がある。

 我が家の山の神は、「嘘つき純子」と自称する。「頭が良くなかったら嘘はつけないよ。ついた嘘を覚えておかないと嘘がバレル」とうそぶいている。私はよく60年も我慢したと思う。

 

 

 

火焔型土器を聖火台に

 縄文時代は一万年続いた平和な時代であったという。 世界史上一番長く平和が続いたのは江戸時代の二百五十年と言われているが、縄文時代の平和は一万年続いている。ただ文字がなかったので戦争があったかどうかの記録はない。

 しかし発掘される遺跡の墓地からは不慮の死の痕跡があるのは1.4%であるという。おそらく新石器時代後の縄文時代は平和で、部族が仲良く協力して狩猟、漁労、木の実の採集をして暮らしていたのであろう。

 縄文文化の象徴である国宝の火焔型土器は新潟県十日町市の博物館にある。信濃川沿いに火焔型土器の分布が広がり南は沖縄まで伝播していった。一度信濃川の火焔街道を歩いて見たい。

 「太陽の塔」作者の岡本太郎が火焔型土器を見て「なんだ!これは!」と叫んだという。岡本太郎は火焔型土器に縄文人の「火」に対する敬虔な祈りの心とその造形の力強さとに圧倒されたのであろう。そこには縄文人の「火」に対する思いが込められている。

 縄文土器は「放射性炭素分析法」による年代測定では約一万五千年前と世界で一番古い。西アジアメソポタミア)の土器は九千年前である。縄文土器は六千年も先行している。最近までは縄文土器は中国大陸から伝播してきたとの説が有力であったが、縄文人が世界で最初に土器を作ったことを「炭素年代測定法」が証明した。

 縄文研究の第一人者國學院大学名誉教授小林達雄氏は「縄文時代の採取生活と、自然を開拓して農作物を作る農耕社会との違い」を説明し、「自然と共生した」縄文文化と「自然を克服する」大陸文化と対比されている。

 日本も大陸から稲作文化が入り、弥生時代には「自然を克服する」社会になった。稲作のための耕作地争いが起こり、縄文の共生の社会から部族間の闘争の時代になった。支配者と被支配者が生まれ天皇を中心とした日本国が出来上がった。

 6世紀に仏教が入り、江戸時代に儒教が入り、明治時代にはキリスト教を基盤とした西洋文化が入ってきた。この三者現代日本人の精神構造を形成しているか。

 否である、伊勢神宮を中心とした神道がある。これは縄文時代の自然との共生が基盤になっている。一万年続いた縄文時代弥生時代以降二千五百年とでは文化度が違う。

 日本人は縄文時代の「自然との共生の文化」を大切にしている。その象徴の火焔型

土器をオリンピックの聖火台に飾ることで日本文化を世界にアピールしたい。

半端ない

 

 傘寿を過ぎた人から「ググる」って知っているかと聞かれ驚いた。調べ物するのに「グーグル」で検索することをいうらしい。新語かな?。会話をしていて、お互い「え」と思ったことがあれば、すぐにスマホで調べることが多い。そして情報を確認しながら会話が続く。

 最近グーグルで検索すると、広告が最初に検索され、必要な情報にたどり着くのに時間がかかる。たとえは「上高地帝国ホテル」を検索すると、ヒットする上位には「宿泊予約」のサイトが並ぶ。調べたい「上高地帝国ホテル」のホームページは上から5番目ぐらいに出てくる。「上高地帝国ホテル」は流石に情報の発信コンセプトが優れているので、まだ見つけやすい。しかし地方の有名旅館で「ホームページ」を外部に委託している場合は、その旅館のホームページは宿泊予約の業者に乗っ取られ、消費者が欲しい情報にたどり着くのは大変である。

 薬の検索も大変である。今や大衆薬の痛み止め「ロキソニン」を検索すると、まず「アマゾン」通販サイトがトップである。「ロキソニンってどんな薬」の項目を調べると「腰痛の通販サイト」に誘導される。正式な薬の公式サイトは10番目ぐらいに出てくる。私は主治医から、薬の検索は十分注意するように言われている。正式な薬剤師の資格がない人が情報を発信しているケースがあるらしい。

 しかし2001年から始まった「ウィキペディア」は今や書き物をするのに必需品である。これはウィキメディア財団が運営しており、編集には誰でも参加できるインターネット百科事典である。昔のように出版社の編纂者が時間をかけ調べたものと比べて情報量が違う。また、疑問があればその道の他の専門家が異議を申し立てるので、時間が経てば経つほど正確なものになってきている。

 ETV特集「辞書を編む人たち」を観た。これは2014年の再放送である。辞書編纂に費やされる膨大な時間と労力の裏話を知った。これは「三省堂国語辞典」の編纂の物語で、たえず流行語、新語を収集している編集者に密着取材している。早速一冊買い、今流行っている「半端ない」を調べた。収録されている。見出し「半端」の項の最後に、『[俗]ものすごい。だだ者でない。1990年代に例があり、21世紀になって広まった言葉。』とある。

 インターネット検索も必要だが、たまに辞書を引くのも楽しい。無人島に本を一冊持って行けるとすれば何。これはロビンソン・クルーソー時代からの永遠のテーマ。今はやはり「国語辞典」がおすすめである。

 

初夏の風

初夏の風

 一昨年から大岡信氏の「折々のうた」を書き写している。原稿用紙に鉛筆で書く。以前は朝日新聞の「天声人語」であったが、年とともに「詩歌」を書き写すほうが心穏やかな時間を過ごせる。

 大岡氏の「折々のうた」は朝日新聞に1979年から掲載が始まり2007年まで続いた詩歌のコラムである。2017年大岡信氏が86歳で亡くなられた時、テレビや新聞の追悼の文を読み「折々のうた」を知り一年かけて書き写し続けた。岩波新書で刊行されたものは19冊あるようだが、復刻された第一巻以外は絶版になっている。

 最近「折々のうたー春夏秋冬」(童話屋)を見つけた。これは谷川俊太郎氏らが「折々のうた」から抜粋し、春夏秋冬の4冊にまとめられた詩集である。各季節の歌から67〜68句を掲載し、手のひらに入る大きさのハードカバーの本である。装幀・画は安野光雅氏が施された美しい本である。

 「なつ」の最初の歌は「かぜとなりたや」(川上澄生)である。「かぜとなりたや はつなつのかぜとなりたや かのひとのまえにはだかり かのひとのうしろよりふく はつなつのはつなつの かぜとなりたや」。大岡信氏の解説が素晴らしいので引用する。「詩人画家川上澄生木版画『初夏の風』に彫られている詩の冒頭。ドレスのスカートを吹き上げられて恥じらっている乙女を中央に、緑のいたずらな風が踊る伸びやかな風景が描かれている」と解説しておられる。

 川上澄生木版画をグーグルで調べ、その版画を見て改めた大岡信氏の解説文の素晴らしさに驚いた。ちなみに棟方志功はこの一点を見て版画を志したという。

 初夏の早朝この詩を読んで「これは!」と感動した。一片の詩が私の心を掴み、生きる喜びをもらった。私の人生に詩の世界はなかったが、大岡信氏の素晴らしい選句と解説で未知なる世界に足を踏み入れることができた。感謝する。

 六月の風を読んだ歌に正岡子規の「六月を 綺麗な風の ふくことよ」もある。六月にはなぜか「かぜ」がよく似合う。新緑とかぜの組み合わせが良いのだろうか。

 傘寿を過ぎて、「終活や終活や」とか「アンティエイジング」と騒がずに、時の流れに身を任せ静かに過ごすのも、老後の楽しみ方である。

 曹洞宗道元禅師「正法眼蔵 生死の巻」に「生(せい)きたらば、ただこれ生(せい)、滅めつきたらばこれ滅(めつ)にむかひてつかふべし、厭ふとうことなかれ 願ふことなかれ」。好きな言葉である。