日本が中国 日本省になる日

中国 日本省になる日

 中国のGDPが日本の三倍になったと報道された。日本が2011年に三位に転落してからわずか6年である。まさか三倍にもなっているとは思いもしなかった。

 習近平が国家首席になってから、中国は急角度で発展し始めた。そしてその経済力で一帯一路の世界制覇の道を歩みだした。南沙諸島に軍事基地を作り、スリランカに中国専用の港を作る。東欧諸国に経済援助や新幹線を作り中国圏に取り込もうとしている。アフリカには20世紀末から確固たる地盤を作り上げている。

 ここまで書いてジンギスカンを思い出した。ジンギスカンも西はハンガリー、東は朝鮮まで版図を広げた。習近平国家主席の次なる狙いは朝鮮・日本であろう。習近平国家主席にとって幸いなことは、トランプ大統領の掲げる「アメリカ・ファースト」である。アメリカの外交の基本は19世紀から「モンロー主義」であると思う。しかしそのモンロー主義が国家間に空白を作り、第一次世界大戦第二次世界大戦を引き起こした。歴史の示すところである。

 そのような認識のもとに今回の北朝鮮問題を考えると、アメリカは朝鮮に手を出さない。むしろこの機会に中国が北朝鮮に侵攻して金正恩を排除して核を排除凍結してもらうことを望んでいる。また中国にとっても世界に核廃絶の恩義を売りながら、自国の領土を拡大できる。これが地政学的に考えて一番素直な流れであろう。

 その次の目標は当然韓国であろう。自国の確固たる信念を持ち得ない韓国は簡単に北朝鮮と一緒に中国の「朝鮮省」に位置付けられる。

 次に中国が触手を伸ばすのは日本だろう。習近平は当然歴史で「元寇」の悔しさを学んだであろう。中国民族の無念を晴らそうとしてもおかしくない。あの時は鎌倉幕府北条時宗と鎌倉武士が必死で日本国を守った。振り返って今の日本の状況はいかがであろう。

 隣国のミサイルが日本の上空を通過しても、反撃もしない。

このような緊迫した状況になっても、自衛隊違憲だと嘯(うそぶ)く政党やジャーナリズムがはびこっている。彼らは日本国民の生命の危機を何と考えているのだろうか。

 改憲論で議論しているうちに、気がつけば日本は中国「日本省」になっているかもしれない。そのような姿は見たくない。

 

家電見本市

2018.2.5家電見本市

 1月10日ラスベガスで「CES」(家電見本市)が始まった。トヨタ豊田章男社長自らが戦略車「イー・パレット」(全長4〜7メートルで低床のバリアーフリーの電気自動車)を発表した。これは自動運転で相乗りのバスとして、イベント会場での移動販売車、宅配便でも、また小売業の移動店舗として色々の場面で利用できる車である。

 パートナーには米アマゾン・ドット・コム、米ピザパット、米ウーバーテクノロジーズや中国ライドシェアー最大の滴滴出行マツダが名前連ねている。

 家電の見本市でトヨタが車を発表するとは、少し意外に感じたが、車が冷蔵庫やテレビと同じ商品になったという認識を世界最大の車メーカーが持ったということだ。自動運転の車、オケ・グーグルを使った音声遠隔操作の家電との融合、その底流には人工知能がある。

 トヨタは自動織機メーカーから自動車会社に転身し世界一になった。このDNA(遺伝子)が自動車メーカーから脱却し新しい事業に転身していこうとしている。昔100年以上続いた長寿企業を勉強し、このコラムにも書いたことがあるが、長寿企業の絶対条件は「時代とともに取扱商品を変えた企業」であった。トヨタも自動織機から自動車会社になりその延長線で、車とコンピューターの複合したあたらしい商品を造ろうとしている。「モビリティーサービスプラットフォーム」が枠組みであるという。

 NHKの特集「欲望の資本主義」ですざましい富の格差が報じられていた。世界人口は74.3億人。トップの8人の総資産4,268億ドルと底辺の36億人の総資産と同じであるという。にわかには信じられない格差である。これは昔からの大金持ちもいるとは思うが、21世紀に入ってからコンピューターを駆使しての金融取引で資産を生み出した人、IT産業で名をなしたアップル、グーグル、ファイスブック、アマゾン、ウーバーなどのベンチャー企業の経営者だと思う。

 いまAI (人工知能)とクラウドとの組み合わせで世界は急速に変わりつつある。このクラウドシステムの頂点にたつ

グーグルやアマゾン、アップルの利益は全てアメリカの経済には貢献するが、日本には何の利益も生み出さない。トヨタがいかに頑張ろうが所詮「釈迦の蕚の上で走り回る孫悟空」のようなものかしれない。この情報の格差を生んだ原因は何だろうか。

 民主党政権事業仕分け蓮舫氏がスパーコンピューター「京」の予算配分で「二位ではいけないですか」といった発言を思い出す。

 

否定と肯定

否定と肯定(2018.1.20)

 デボラ・リップシュタットの「否定と肯定 ホロコーストの真実をめぐる戦い」を原作とする映画「否定と肯定」を観た。地味な映画だが観ているうちに引き込まれ、原作の翻訳本を取り寄せて読んだ。

 ホロコーストナチスによる大量虐殺)はなかったと主張する歴史著述家アーヴィングが、歴史学者リップシュタットを名誉毀損で訴えた裁判のノンフィクッション小説である。被告側のリップシュタット側の弁護団は膨大な資料を検証し原告アーヴィングの史実を歪曲した嘘を一つずつ暴いていき、最終判決で勝利をかち取るまでの記録である。

 最後に勝訴したリップシュタット教授の「歴史家には事実に対して独自の解釈をする権利があるが、その事実を故意に歪めて述べる権利はない」と書いている。

 昨年来韓国の慰安婦問題が話題になり、文在寅韓国大統領が2015年12月の日韓合意に対して「手続き、内容にも重大な欠陥があることが確認された」と表明した。

 慰安婦問題の発端はなんだろうかと調べた。吉田清治、福岡県出身とされる文筆家が1982年に、「大東亜戦争の最中、軍令で朝鮮人女性を強制連行し日本軍の慰安婦にした」と自著に記述。その後講演活動をした。これに対して朝日新聞は1992年その証言の信憑性が疑われるまで16回記事にし、天声人語でも15回この問題を書いている。嘘が発覚してから20年経った2014年8月5日朝日新聞が吉田証言はその大半が虚偽・創作であったと認め謝罪した。

 この吉田清治朝日新聞が取り上げ、そのため宮沢総理をはじめ歴代の政府関係者がいかに韓国に対して謝罪を繰り返したか。また、両国間の取引に使われたか。そしていかに日本の国益を損なったか計り知れない。最近には米国サンフランシスコに慰安婦像が設置され、それが全米にひろがってきている。この問題を考えるとき朝日新聞の罪の深さを思う。

 「ホロコーストがなかった」という歴史著述家アーヴィングの資料の改竄や思い込みで撒き散らした嘘は、5年に及ぶ裁判の過程で明らかになり、その後は「ネオナチス」が利用するだけになったが、南京事件慰安婦問題は国家間のプロパガンダに使われ、当事者国家の合同の調査も検証もできない状況で、一方的に日本が悪人になるのは悔しい。

 そのような中で慰安婦像の設置を許可したサンフランシスコ市との姉妹都市を解消する吉村大阪市長の見識に深い共感を覚える。

遠野に旅する

遠野に旅する(1017.11.20)

 六十年来の念願が叶って遠野(岩手県)へ行った。柳田國男氏の「遠野物語」にある「デンデラノ」「ダンノハナ」「カッパ淵」に、わが身を置いてその雰囲気を感じたいとの思いで旅に出た。

 遠野物語には大きく分けて、「河童の話」「姨捨の話」「人攫いの話」「山犬(狼)の話」「オシラサマ(信仰)の話」がある。

 「河童と姨捨の話」は人減らしの悲しい伝説である。

今回の旅行で観光タクシーの運転手が、「遠野の河童は赤いです」といった。私の河童のイメージはなんとはなく「青緑」であるが、遠野の河童が赤色で赤い舌を出したと聞き、とっさに「水子」だと思った。飢饉の時、生まれた子を間引きした親の悲しみと子を思う心が、せめて河童の形になってでもこの世に存在してほしいとの思いが河童伝説を生んだのであろう。

 「姨捨の話」は全国にある。遠野の場合は南部藩の殿様の命令で、「生産活動もできない年寄りは、年貢徴収の妨げになる、60歳になれば山に捨てよ」との決まりがあった。捨てられた年寄りが集団生活をした場所を「デンデラノ」(蓮台野)という。「墓入り」した老人も元気なうちはそこで農作業をして収穫物を町へ売りに行き生活の糧とした。死ぬと向かいにある「ダンノハナ」(墓地)に入る。この「墓入り」が「はかがいく•はかどる」の語源になったともいわれる。悲しい話である。

「人攫いの話」も多いが、これは昭和の初めまで全国に20万人いたといわれる「山窩」が、村に降りて若い娘さんを攫って妻にしたことだと思う。「山窩」については、三角寛著「山窩は生きている」(河出書房)に詳しい。また、五木寛之氏の「風の王国」は「山窩」の話である。ご参考までに。

 「山犬」は狼のことで明治の中期まではたくさんいて、人に害をなしていたようだ。狼に馬を食い殺されて家が没落していく話もある。鉄砲が一般に普及して害獣として殺され、明治38年東吉野村鷲家口で捕獲された日本狼が最後である。

オシラサマ」の素朴な人形が資料館にたくさんあった。どれも土着宗教が盛んであったことをうかがわせる。そのためか関西地区に比べて遠野にはお寺が少ないような気がする。これは昨年旅行した秋田県でも感じたことである。

 昔の東北地方の悲しく寂しい農民の生活に思いを馳せ念願の遠野旅行を終えた。

 

龍(2017.12.20)

 昔からなぜ架空の動物の「龍」が崇められるのか考え続けている。中国では「龍」西洋では「ドラゴン」があり、日本でも仏教寺院の天井絵の睨み龍として「龍」が描かれている。

 中国では夏王朝の禹王の時代に権威の象徴としての「龍」がある。架空の動物「龍」を宗教的シンボルとし、その「龍」が選んだ者が国を治める資格があると権威の裏付けに使われた。中国の歴代王朝の王座には必ず龍が使われている。

 仏教と龍の結びつきの始まりは何かとパソコンで調べた。

インドのヒンズー教八部衆につながるという。ヒンズー教の影響が色濃い仏教が中国を経由して日本に伝来した。日本の仏教にも八部衆がある。その八部衆の二番目に仏を守る一員として龍がいる。仏教寺院の天井画に龍が描かれる由来らしい。

 日本の龍には「水神」の意味合いもある。水の神様は龍神様である。出雲国ヤマタノオロチも龍である。石見神楽の頭は龍である。

 現存する動物で龍に一番近いものは「鰐」「蛇」「蜥蜴」である。蜥蜴の胴を蛇のように長くし、鰐の頭をつければ「龍」になる。今恐竜に一番近いのは「鰐」であるといわれている。しかし空は飛べない。飛ぶ能力には鳥類が必要だ。

 恐竜で現存するのは爬虫類と鳥類である。6500万年前、隕石の衝突で恐竜が滅びたとの説が有力であるが、人類の先祖がチンパンジーと分かれた600万年から700万年前にも、ある種の恐竜がいたのではないか。恐竜と哺乳類が長い間共存していたとの説もあるようだ。

 映画ジェラッシックパークを見られた方も多いと思う。大草原を巨大恐竜が歩き回り、空には始祖鳥みたいな鳥が飛び回っている。そのような光景を人類の先祖たちは恐れおののいて見、恐竜を自分たちの能力をはるかに超えた生き物として崇めていた時期もあったのではないか。

 そのDNAが人類の先祖から引き継がれ、架空の動物「龍」を崇め、神とし権力の象徴としたのではないか。現存する生き物の中で一番恐竜に近いのは鳥類と言われている。龍を崇める文化のないエスキモー(イヌイット)は「ワタリガラス」を神としている。やはり天空を自由に飛び回る動物は人間の能力を超えたものである。恐竜と鳥とを合体させて、人間が架空の生き物「龍」の原型を作ったと思うが、いかがでしょうか。

 

平安時代

平安時代(2018.1.5)

 子供の頃、元旦の恒例行事が終わった後、親父が読み手で「百人一首」のかるたとりをした。定番は小倉百人一首鎌倉時代藤原定家が編纂したものである。しかしその収録された歌の大半は平安時代歌人が読んだものだ。

 平安時代は西暦784年桓武天皇長岡京から後白河天皇没後、西暦1192年鎌倉幕府開府までの408年間続いた。400年も平和で続いた時代は世界歴史上最長である。

まさしく名の通り平穏で安定した世である。

 天智天皇天武天皇そして持統天皇から桓武天皇に引き継がれ、今の天皇制につながる基盤が出来上がった時代である。平安時代には901年の菅原道眞が太宰府に左遷された事件、935年の平将門の乱、1155年の保元の乱以外大きな混乱もなく、平清盛の没後、源頼朝鎌倉幕府へと引き継がれた。

 平安時代は絢爛たる文化が花開いた。790年大伴家持が「万葉集」編纂、清少納言の「枕草子」、紫式部の「源氏物語西行の「山家集」、「伊勢物語」「竹取物語」「更級日記」「梁塵秘抄」本当に絢爛豪華なものである。

 宗教では空海真言宗が突出している。平安末期に生まれた法然の浄土宗、親鸞浄土真宗がある。

 日本史上、平安時代に続いて長期に安定した時代は江戸時代である。1615年から1868年まで約250年間。その間には由井正雪事件以外は平穏であった。天保や天明の飢饉もあったが文化の花が開いた。

 武士道で日本人の精神構造に芯を入れた。また二宮金次郎篤農思想は庶民に勤勉という行動規範を教えた。日本独自の文化では、科学の分野で関孝和和算伊能忠敬の日本地図の完成が特筆される。

 文化では、近松門左衛門浄瑠璃、歌舞伎、俳句、川柳そして浮世絵がある。中でも世界の絵画界に強烈な影響を与えたのは葛飾北斎の浮世絵である。19世紀前半の西欧でゴッホ・モネ・ゴーギャン印象派に与えた衝撃は強烈である。

 平安時代の400年、江戸時代の250年の平和な時代を考察すると人類の進歩には平和な時代が不可欠であることがわかる。戦争は技術革新を生み出すが、文化は生み出さない。人間性の向上には平和が絶対に必要であると確信できるのではないか。

 

浮世絵

浮世絵 心の原風景(2017.10.5)

 NHKの「美の壺」を見られておられる方も多いと思う。最近「空間の魔術師 ロイド・ライト」の番組を見た。ご存知の通り帝国ホテルの設計者である。建築はともかくその番組でライトが浮世絵の収集家と知った。日本での設計料のほとんどを浮世絵の収集に使い、その数4千枚に近いという。

 19世紀、浮世絵が外国に与えた衝撃は計り知れない。

ゴッホ、モネなどに与えた影響はその作品に現れている。ゴッホの「ダンキー爺さん」の肖像画の背景に浮世絵の額がある。また、「花魁」という絵もある。ゴッホの絵にはその技法に、またその造形に、色彩に、浮世絵の影響が色濃いと言われる。

 モネの「睡蓮」の絵は日本人になじみやすい。彼がパリ近郊ジヴェルニー村に作った睡蓮の池には広重の浮世絵「亀戸天神境内」にある太鼓橋をイメージした橋が作られている。両者を比べればモネがいかに浮世絵に傾倒していたかがわかる。

 あまり浮世絵は詳しくないが、私が一番好きな浮世絵は葛飾北斎の「神奈川沖浪裏」である。歌麿美人画写楽の役者画もいいが、風景画の方が馴染みやすい。やはり葛飾北斎の「富嶽三十六景」に吸い込まれる。二、三好きな絵を挙げると、たる職人の作る大きな樽の中に富士山が描かれている「尾州不二見原」。大きな角材を木挽きしている「遠江山中」。昭和30年代まで西横堀川の川岸で銘木を木挽していた姿を思い出す。そして両国橋の木場の「本所立川」である。どうしても木材に関連に目がいく。

 「北斎漫画」が面白い。いろんな職人や芸人そして市井の庶民の姿 動物 妖怪をユーモラスに描いている。どの絵を見ても何か心に響くものがある。この北斎漫画が古新聞のように、日本から輸出される陶器や磁器の緩衝材として使われた。それを見たモネやゴッホ等のフランス印象派に大きな衝撃を与えた。

 北斎は89歳までに30回改号し90回転居したと言われる。家には食器もなく極貧の人生であった。その中で浮世絵や北斎漫画など生涯に3万点もの作品を残した原動力はなんだったのだろうか。15年ほど前、旅行で立ち寄った小布施の岩松院で、畳二十一枚分の大きさに描かれた極彩色の「八方睨み鳳凰図」を見たときの感動は計り知れないものがあった。北斎87歳の時の作品である。

 89歳で亡くなる時の辞世の句「人魂でいく気散じや 夏野原」