浪速っ子の心意気

 5月14日吉村大阪府知事は国の緊急事態宣言解除に先駆けて独自の「大阪モデル」で特別処置法に基づく休業要請を段階的に解除すると発表した。通天閣と万博の太陽の塔が緑にライトアップされたのを見て感激した。これぞ「浪速っ子」の誇りを象徴したものである。

 今回のコロナ騒ぎで松井市長が「医療現場で防護服が不足している。ビニール・レインコートの寄付」を呼びかけたところ、初日で10万枚、最終30万枚の寄付があった。また吉村知事が医療従事者への「コロナ助け合い基金」を募った時、初日で10億円5月14日時点に17億5千万円の寄付が集まった。医師に20万円、隔離ホテルの従業員や保健所の職員に10万円渡すという。それも支給を早めるため「クオカード」(ギフトカード)で渡す。お役所仕事ではない。基金を設立し即医療従事者に届くように工夫をする。吉村知事・松井市長の思いと府民市民の心が一体化した。二つの心が相通じ、一つに合わさるとき、新しい市民社会が生まれる。「浪速っ子」はコロナを機会に民主主義の原点を再確認した。

  昭和3年(1928)大阪市大阪城天守閣の復興を打ち上げた。当時の大阪は人口が東京を上回り日本一の都市「大(だい)大阪」と呼ばれた時代である。関市長が市民に寄付を呼びかけると目標額150万円が半年で集まった。1930年に着工、翌年完成した。1928年に始まる世界大恐慌スペイン風邪大流行の最中であった。150万円のうち天守閣建設費は47万1千円、公園整備費22万9千円、80万円は師団司令部総合庁舎の建設に充てられた。

 当時、大阪城跡には陸軍第4師団があり、しかも東側の歩兵工廠(軍事工場)を見下ろす位置にあった。本来は軍部が天守閣建設を許すはずがない時に、陸軍に師団司令部を作りましょうと持ちかけ建設にこぎつけた。大阪商人の知恵が見事にその交渉過程に見られる。当時は御堂筋と地下鉄御堂筋線が建設され、大阪人の意気軒昂な時であった。この大阪人のDNAが今回も発揮された。

 5月19日の夕刊に阪大が全国の病院に顔用防護具(フェイスシールド)を20万個無償で配るという記事があった。これも寄付(クラウドファンディング)の資金で賄う。吉村知事は大阪でコロナワクチンを開発すると宣言している。医療従事者へのお礼の給付金といい、大阪発のアイディアは危機に対する取り組みに優れている。やはり昔から「お上に頼らない」心意気が「浪速っ子」の本領である。頑張ろう。

シャープとモンベル

シャープとモンベル

台湾に買収されたシャープの本社は阿倍野区長池にあった。私の小学校中学校の友人にはシャープ関係者の子弟が多かった。早川徳次が作った「シャープペンシル」や「電卓」は大阪の庶民にとって誇りでもあり、一番身近な企業であった。2010年代にはテレビ亀山モデルが一世を風靡し、地元民として誇らしく思い、私は「テレビはシャープ」と決めていた。

 しかし今回のコロナ騒ぎで一番評判を落としたのはシャープではないか。それは「50枚入りマスク」をネットで2,980円の高値をつけて販売をしたことにある。全国から申し込み殺到、5月3日に「シャープCOCORO LIFE」から第2回目の抽選販売をする。少しおかしい。何か違和感を感じる。

 大阪吉村知事は緊急事態宣言解除の最大の条件は医療崩壊が防げる目処が立った時にあると明言している。その医療従事者か一番今困っているのは「N95の医療マスク」である。品不足で二回三回と使い回しをしていると聞く。

シャープは液晶テレビを作るための「クリーンルーム」を持っている。なぜ今一番医療現場で不足している医療用マスクを作らずに、庶民の足元を見たような「マスク」を通販で抽選販売をするのか。火事場泥棒のようなことをするのは、私はシャープの経営者に職業倫理の欠如であると思う。

同じ大阪のスポーツ用品メーカー「モンベル」の芳野社長は5月2日に「医療用防護服を自社の極寒地で証明された縫製技術で作り、医療機関に寄贈する」と言っている。また、和歌山のニット編み機メーカー島精機が、マスクを編めるソフトを開発、全国ニット業者に無償配布をしている。

吉村知事や松井市長は緊急事態の時のリーダーシップが素晴らしい。学校の9月新学期問題など問題点の分析と将来のメリットなど正しく国家百年の計を考えた発言である。

 また身近な休業補償問題でもリーダーシップを発揮し、もし国がしないなら大阪府独自でも考えるとの発言も彼は本当に国民の心と実情を知っている。前回にも書いた吉村知事の3月25日の発言「コロナと経済のバランス」も知事は実務者であるとともに哲学者であると思う。

 今1947年のノーブル文学賞受賞のカミュの「ペスト」(フランス植民地アルジェの第二の都市オランが舞台)の中で、ペストと戦う唯一の方法は「誠実」と書かれている。政治家も役人も国民もこの「誠実」を行動規範にして「コロナ騒ぎ」を乗り切りたい。シャープの真似はするな!

ビニールレインコート10万枚

 松井大阪市長が「医療現場で防護服が不足、医師たちがゴミ袋で防護服を作っている。家庭にあるビニールレインコートを拠出してほしい」と呼び掛けたところ、その日のうちに1万枚が持ち込まれ、翌日にはその数が10万枚になったと報道された。我が家でも非常袋にあった3枚を大阪市宛に郵送した。

 大阪のおばちゃんの「飴玉コミュニュケーション」に見られるように、大阪人は心優しいく人情に厚い心を持っている。

吉村知事の記者会見をみた大阪のおばちゃんがツイッターで「吉村知事、寝てください」との書き込みをたくさんした。

とかく人の批判ばかりするのが革新的と思っている「A新聞社の記者」にはない心が大阪にはある。

 橋本徹氏が維新の会を立ち上げて今年の4月19日で10年になる。大阪市大阪府の公務員に「公僕」と意識を徹底して教育をした成果が、今回の吉村知事の素早く歯切れの良い対応につながったと思う。3月の連休前に大阪府兵庫県の往来の自粛を呼び掛けたこと、そして今回も緊急事態宣言前から中小企業や零細企業に対する支援金などは、政府の動きよりも素早かった。やはり首長として公僕としての自覚が、霞ヶ関の役人や国会議員とは格段の差が出たと思う。

 コロナ騒ぎが一段落した後に1929年の大恐慌を上回る社会経済の大変動が起こると思う。身近な例で見れば関西空港の国際線の発着が4月15日にゼロになったことから想像すると、まず日本航空全日空のダメージの大きさは想像できる。旅行者ゼロに観光産業などの苦境はわかるが、本当は経済活動の根幹部門でいろんな破綻が始まっている。半年先には社会構造経済構造の大変換が目に見えてくると思う。

 この時に国家の舵取りをできる強烈なリーダーが必要である。安倍総理の求心力は日々低下しつつある。今回の社会保障一律10万円支給も迷走の上に決まったような気がする。かっこの良い人気取りで公明党が言い出したことを周りのムードに押された形で決めた。まさしく政権末期の様相である。

 世界大恐慌の前夜のいま、各国のエゴが突出し国際協調は過去のものとなる。その時日本の政権が不安定であるのは非常に危険である。強烈なリーダーが今必要である。橋下徹氏の出馬をお願いしたい。

緊急事態宣言

コロナウイルス の蔓延が収まらず遂に緊急事態宣言がでた。一応5月連休明けまでと期限が決まっているが、無事その時に解除されることを願う。

 国家が国民の生活を全面的に規制したのは昭和13年(1938年)の「国家総動員法」以来今回が初めてである。

国家総動員法」は太平洋戦争を戦うために国民の生活全般を規制したものであった。今回の「緊急事態宣言」は、形は違うが「コロナウイルス」対策で国民の生活を制限するものである。

 安部首相が「緊急事態宣言」発表で「医療機関の崩壊」を第一にあげているが、これはイタリアでの医療崩壊を他山の石としたと思う。

 「緊急事態宣言」の一番のインパクトはやはり「百貨店休業」と「学校への休校要請(延長)」であろう。国家動員法の時も「百貨店」休業命令はなかった。学校も休校していない。百貨店は国民の消費生活のシンボルである。明治37年(1904)に三越百貨店が誕生して以来、天災の時以外休業していない。それが今回とりあえずひと月休業する衝撃は計り知れないものがある。

今回は生活ラインのスーパー、コンビニ、医療機関交通機関などは確保されているが、「百貨店休業」で国民の心が冷え込み、消費は限りなく縮小していく。この連鎖は生産・物流・雇用に多大な影響を与える。政府が経済対策として108兆円の支出を発表した。これは今年度の国家予算102兆円を上回る規模である。果たしてこれが日本経済の失速を止めることができるであろうか。できることを願うばかりである。

緊急事態宣言 また、目を国外に転じると、今後の世界に与える衝撃は想像もつかない。各国の国境閉鎖で物流と人の流れが遮断され、未曾有の混乱をひき起こす。国際分業などは滞り、過去に経験したことのない社会ができるであろう。4月9日国際通貨基金IMF)専務理事が2020年景気は1930年の世界恐慌以来のものとなると想定している。

また、「サイエンス全史」作者ハラリ氏は「コンピューターを使った中国の国民監視体制が前例になり、国民の個人情報を国家が掴み、限りない監視社会ができること」を危惧している。

 前回の2003年サーズ騒ぎを機会に「ネット通販」が拡大した。今回は医療の遠隔治療、テレワークで会社の仕事も学生の勉強方法も大幅に変えるであろう。戦争は(今回はコロナ)技術革新を進める。人の行動形態が車・電車・飛行機からネットに置き換わる。物流はどうなるのであろうか。

 だが、このひと月で小学生中学生の顔は真っ黒になった。午後の運動場・公園で生き生きと走りまわっている。塾のない社会は子供の天国かもしれない。唯一の救いである。(2020年4月10日)

コロナウイルス と株

ニューヨークダウが1月17日の29,568ドルからこの原稿を書いている3月25日時点で20,704ドル。ピークから30%ダウンしている。また、日経ダウも1月15日の24,000円から19,546円で19%の下落である。手元に1990年のバブル崩壊から今回までの株式の下落率の資料があるので参考までに記す。

 1990年の「日本株バブル崩壊」のとき日経ダウは63.6%の下落。2000年「ITバブル崩壊」のとき63.5%の下落。2007年「リーマンショック」のときも61.4%と大暴落している。

 今回はコロナウイルス との関連で株価が下がっているが、過去の例を見ると疫病発生と株価暴落とは連動していない。因みに、世界的疫病の発生した年を調べると1976年からアフリカで発生した「エボラ出血熱」死者11,000人。2002〜2003年の「SARS」29カ国、死者774人。2009年「新型インフルエンザ」200超の国・地域で発生し死者18,000人。

今回の新型コロナウイルス は160以上の国・地域で感染者数34万人以上、死者14,000人超( 2020.3.25現在)である。まず中国武漢で人口1千万人都市を閉鎖した。横浜港でクルーズ船の乗客乗務員3800人を隔離した。その感染力の強さが過去の感染症の比ではない。3月半ばから世界各国で国境閉鎖が始まり、人の往来はもちろん物流が止まってしまった。日本ではオリンピックの開催が一年延期され、春の高校野球が中止に、プロ野球も開催延期と人心は萎縮し続けている。

 過去の株式の暴落は金融システムの破綻が原因であったが、今回の株式の暴落は社会システムの崩壊が引き起こしたパニックである。10年前の「新型インフルエンザ」のときより世界の各国の生産と物流の相互依存度は、我々素人が想像する以上に大きくなっている。国境閉鎖は今まで地球規模で構築されてきた社会システム・経済システムを根本的に否定する。その影響力は今の状況からは想像できない。

 3月中頃の吉村大阪府知事の勇気ある発言「このままでは社会経済システムが壊れる。コロナウイルス のワクチンと治療薬が開発されるまでの間、今のコロナウイルス対応法を守りながら社会生活を徐々に再開しなければならない」との発言に満腔の敬意を表します。彼は真のリーダーだ。(3月25日記)

水清ければ魚棲まず

 3月初旬は瀬戸内のイカナゴ漁解禁である。私は毎年イカナゴを5キロ買い、釘煮にして親戚や友人にプレゼントし喜ばれている。しかし最近は不漁続きで販売日数が短くなってきている。一昨年などは店頭に並んだのは5日ぐらいであった。統計によると兵庫県イカナゴ漁獲量は2001年に30,214トンから2017年には30分の1の1,000トン、2018年には1,621トンまで激減してきた。

 近年、瀬戸内の漁獲量は減少の一途を辿っている。その原因は工場排水や家庭排水の規制で水質管理が厳しくなり、海水中の栄養塩までも低下したためでは、との懸念が浮かび上がっている。まさしく「水清ければ魚棲まず」の喩え通りになった。

 昨年末、井戸敏三兵庫県知事は「環境基準の範囲内で栄養塩の不足対策を考える。海がきれいになりすぎず、魚がすめるようにしていきたい」と述べ、県の環境審議会に生物科学的酸素要求量規制の科学的検証を要請した。また兵庫県は排水基準の一部を今年3月までに緩和する方針を明らかにした。

 高度成長期には毎年「赤潮」の発生が初夏の新聞の社会面に大きく報道された。その度、海洋汚染と魚の汚染を心配した。須磨から明石大橋にかけて魚釣りに出かけとき、赤潮が海面を覆っている日など心が暗くなった思い出がある。

 「水清くして魚棲まず」といえば、江戸時代の田村意次と松平定信が引き合いに出される。当時の狂歌「白川の清きに魚も棲みかねて もとの濁りの田沼恋しき」がある。

 田沼意次(1719-1788)は徳川幕府10代将軍家治の側用人として幕府の財政再建に俊腕を発揮した。株仲間を奨励して冥加金を取る。商品開発(干し鮑、干しなまこ、鱶鰭)をして中国に輸出外貨を稼いだ。蝦夷地の開拓、印旛沼干拓をした。しかし「賂金」問題で失脚した。   

次に登場した松平定信(1759-1829)が「寛政の改革」で人心の立て直しと庶民救済に努力するが、あまりにも潔癖すぎて人心が離れ失脚し、領地の水戸の藩政に専念した。

 両者を比較すると政治の舵取りの難しさを知る。中国習近平首席の賄賂撲滅政策のさじ加減は如何・・・

 

地球温暖化

 二酸化炭素排出量規制が叫ばれて久しい。私はこの問題の議論に「地球の気候変動」を考慮せず、「二酸化炭素排出」を悪玉に挙げているのに少し疑問を持つ一人である。地球の氷河期には「氷期間氷期がある」。今は間氷河期への入り口に位置するのではないか。地球規模で考えての議論がないのは片手落ちな気がする。

 高校時代の友人と能登半島を旅行した時、真脇遺跡を見学した。真脇遺跡(紀元前6,000~2,000)は縄文遺跡である。駐車場に海抜35メーターの表示があった。眼下には夕陽に輝く能登湾があり、展示館に入ると壁面にイルカ漁の様子が描かれていた。その時イルカや貝類を食べる真脇の縄文人は今の遺跡よりもっと海に近いところで生活をしていた。縄文時代の海面は今より高いところにあったと思う。4,000年間でも海面の変動が大きいことを実感した。

 海面が今より高かった証拠に縄文時代の大阪の地図では生駒山上町台地の間は海であった。また日本の都が明日香にあったのも、大陸からの船が今の三輪山の麓まで入ってきたからである。2,000年前でも水位は現在より高かったと思う。

 昨年の国連総会でスエーデンの少女グレタ・トゥーンベリ(16歳)が地球規模での気温変化を考慮せずにヒステリックに演説をしているのに違和感を覚えた。

 二酸化炭素がなければ人類はもとより地球上のすべての生物は生存することができない。二酸化炭素規制と大気汚染を同時に論じることで二酸化炭素は悪という誤解を生んできた。

 昔、映画「ジェラシック・パーク」や「ロストワールド」を書いたマイケル・クライトンの本「恐怖の存在」を読んだ。テーマは「地球温暖化と気候変動」をテーマにした本である。クライマックスは地球温暖化規制強化を議論する国際会議で、規制推進派が南極の氷山を爆破して、その映像をリアルタイムで会場に流し地球温暖化の証として規制強化を画策する場面がある。

 温暖化問題にすこし消極的なアメリカのトランプ大統領はこの本を読んでいるかもしれない。憶測だが・・・