遠野に旅する

遠野に旅する

 六十年来の念願が叶って遠野(岩手県)へ行った。柳田國男氏の「遠野物語」にある「デンデラノ」「ダンノハナ」「カッパ淵」に、わが身を置いてその雰囲気を感じたいとの思いで旅に出た。

 遠野物語には大きく分けて、「河童の話」「姨捨の話」「人攫いの話」「山犬(狼)の話」「オシラサマ(信仰)の話」がある。

 「河童と姨捨の話」は人減らしの悲しい伝説である。

今回の旅行で観光タクシーの運転手が、「遠野の河童は赤いです」といった。私の河童のイメージはなんとはなく「青緑」であるが、遠野の河童が赤色で赤い舌を出したと聞き、とっさに「水子」だと思った。飢饉の時、生まれた子を間引きした親の悲しみと子を思う心が、せめて河童の形になってでもこの世に存在してほしいとの思いが河童伝説を生んだのであろう。

 「姨捨の話」は全国にある。遠野の場合は南部藩の殿様の命令で、「生産活動もできない年寄りは、年貢徴収の妨げになる、60歳になれば山に捨てよ」との決まりがあった。捨てられた年寄りが集団生活をした場所を「デンデラノ」(蓮台野)という。「墓入り」した老人も元気なうちはそこで農作業をして収穫物を町へ売りに行き生活の糧とした。死ぬと向かいにある「ダンノハナ」(墓地)に入る。この「墓入り」が「はかがいく•はかどる」の語源になったともいわれる。悲しい話である。

「人攫いの話」も多いが、これは昭和の初めまで全国に20万人いたといわれる「山窩」が、村に降りて若い娘さんを攫って妻にしたことだと思う。「山窩」については、三角寛著「山窩は生きている」(河出書房)に詳しい。また、五木寛之氏の「風の王国」は「山窩」の話である。ご参考までに。

 「山犬」は狼のことで明治の中期まではたくさんいて、人に害をなしていたようだ。狼に馬を食い殺されて家が没落していく話もある。鉄砲が一般に普及して害獣として殺され、明治38年東吉野村鷲家口で捕獲された日本狼が最後である。

オシラサマ」の素朴な人形が資料館にたくさんあった。どれも土着宗教が盛んであったことをうかがわせる。そのためか関西地区に比べて遠野にはお寺が少ないような気がする。これは昨年旅行した秋田県でも感じたことである。

 昔の東北地方の悲しく寂しい農民の生活に思いを馳せ念願の遠野旅行を終えた。

 

 昔からなぜ架空の動物の「龍」が崇められるのか考え続けている。中国では「龍」西洋では「ドラゴン」があり、日本でも仏教寺院の天井絵の睨み龍として「龍」が描かれている。

 中国では夏王朝の禹王の時代に権威の象徴としての「龍」がある。架空の動物「龍」を宗教的シンボルとし、その「龍」が選んだ者が国を治める資格があると権威の裏付けに使われた。中国の歴代王朝の王座には必ず龍が使われている。

 仏教と龍の結びつきの始まりは何かとパソコンで調べた。

インドのヒンズー教八部衆につながるという。ヒンズー教の影響が色濃い仏教が中国を経由して日本に伝来した。日本の仏教にも八部衆がある。その八部衆の二番目に仏を守る一員として龍がいる。仏教寺院の天井画に龍が描かれる由来らしい。

 日本の龍には「水神」の意味合いもある。水の神様は龍神様である。出雲国ヤマタノオロチも龍である。石見神楽の頭は龍である。

 現存する動物で龍に一番近いものは「鰐」「蛇」「蜥蜴」である。蜥蜴の胴を蛇のように長くし、鰐の頭をつければ「龍」になる。今恐竜に一番近いのは「鰐」であるといわれている。しかし空は飛べない。飛ぶ能力には鳥類が必要だ。

 恐竜で現存するのは爬虫類と鳥類である。6500万年前、隕石の衝突で恐竜が滅びたとの説が有力であるが、人類の先祖がチンパンジーと分かれた600万年から700万年前にも、ある種の恐竜がいたのではないか。恐竜と哺乳類が長い間共存していたとの説もあるようだ。

 映画ジェラッシックパークを見られた方も多いと思う。大草原を巨大恐竜が歩き回り、空には始祖鳥みたいな鳥が飛び回っている。そのような光景を人類の先祖たちは恐れおののいて見、恐竜を自分たちの能力をはるかに超えた生き物として崇めていた時期もあったのではないか。

 そのDNAが人類の先祖から引き継がれ、架空の動物「龍」を崇め、神とし権力の象徴としたのではないか。現存する生き物の中で一番恐竜に近いのは鳥類と言われている。龍を崇める文化のないエスキモー(イヌイット)は「ワタリガラス」を神としている。やはり天空を自由に飛び回る動物は人間の能力を超えたものである。恐竜と鳥とを合体させて、人間が架空の生き物「龍」の原型を作ったと思うが、いかがでしょうか。

 

平安時代

平安時代

 子供の頃、元旦の恒例行事が終わった後、親父が読み手で「百人一首」のかるたとりをした。定番は小倉百人一首鎌倉時代藤原定家が編纂したものである。しかしその収録された歌の大半は平安時代歌人が読んだものだ。

 平安時代は西暦784年桓武天皇長岡京から後白河天皇没後、西暦1192年鎌倉幕府開府までの408年間続いた。400年も平和で続いた時代は世界歴史上最長である。

まさしく名の通り平穏で安定した世である。

 天智天皇天武天皇そして持統天皇から桓武天皇に引き継がれ、今の天皇制につながる基盤が出来上がった時代である。平安時代には901年の菅原道眞が太宰府に左遷された事件、935年の平将門の乱、1155年の保元の乱以外大きな混乱もなく、平清盛の没後、源頼朝鎌倉幕府へと引き継がれた。

 平安時代は絢爛たる文化が花開いた。790年大伴家持が「万葉集」編纂、清少納言の「枕草子」、紫式部の「源氏物語西行の「山家集」、「伊勢物語」「竹取物語」「更級日記」「梁塵秘抄」本当に絢爛豪華なものである。

 宗教では空海真言宗が突出している。平安末期に生まれた法然の浄土宗、親鸞浄土真宗がある。

 日本史上、平安時代に続いて長期に安定した時代は江戸時代である。1615年から1868年まで約250年間。その間には由井正雪事件以外は平穏であった。天保や天明飢饉もあったが文化の花が開いた。

 武士道で日本人の精神構造に芯を入れた。また二宮金次郎篤農思想は庶民に勤勉という行動規範を教えた。日本独自の文化では、科学の分野で関孝和和算伊能忠敬の日本地図の完成が特筆される。

 文化では、近松門左衛門浄瑠璃、歌舞伎、俳句、川柳そして浮世絵がある。中でも世界の絵画界に強烈な影響を与えたのは葛飾北斎の浮世絵である。19世紀前半の西欧でゴッホ・モネ・ゴーギャン印象派に与えた衝撃は強烈である。

 平安時代の400年、江戸時代の250年の平和な時代を考察すると人類の進歩には平和な時代が不可欠であることがわかる。戦争は技術革新を生み出すが、文化は生み出さない。人間性の向上には平和が絶対に必要であると確信できるのではないか。

 

浮世絵

浮世絵 心の原風景

 NHKの「美の壺」を見られておられる方も多いと思う。最近「空間の魔術師 ロイド・ライト」の番組を見た。ご存知の通り帝国ホテルの設計者である。建築はともかくその番組でライトが浮世絵の収集家と知った。日本での設計料のほとんどを浮世絵の収集に使い、その数4千枚に近いという。

 19世紀、浮世絵が外国に与えた衝撃は計り知れない。

ゴッホ、モネなどに与えた影響はその作品に現れている。ゴッホの「ダンキー爺さん」の肖像画の背景に浮世絵の額がある。また、「花魁」という絵もある。ゴッホの絵にはその技法に、またその造形に、色彩に、浮世絵の影響が色濃いと言われる。

 モネの「睡蓮」の絵は日本人になじみやすい。彼がパリ近郊ジヴェルニー村に作った睡蓮の池には広重の浮世絵「亀戸天神境内」にある太鼓橋をイメージした橋が作られている。両者を比べればモネがいかに浮世絵に傾倒していたかがわかる。

 あまり浮世絵は詳しくないが、私が一番好きな浮世絵は葛飾北斎の「神奈川沖浪裏」である。歌麿美人画写楽の役者画もいいが、風景画の方が馴染みやすい。やはり葛飾北斎の「富嶽三十六景」に吸い込まれる。二、三好きな絵を挙げると、たる職人の作る大きな樽の中に富士山が描かれている「尾州不二見原」。大きな角材を木挽きしている「遠江山中」。昭和30年代まで西横堀川の川岸で銘木を木挽していた姿を思い出す。そして両国橋の木場の「本所立川」である。どうしても木材に関連に目がいく。

 「北斎漫画」が面白い。いろんな職人や芸人そして市井の庶民の姿 動物 妖怪をユーモラスに描いている。どの絵を見ても何か心に響くものがある。この北斎漫画が古新聞のように、日本から輸出される陶器や磁器の緩衝材として使われた。それを見たモネやゴッホ等のフランス印象派に大きな衝撃を与えた。

 北斎は89歳までに30回改号し90回転居したと言われる。家には食器もなく極貧の人生であった。その中で浮世絵や北斎漫画など生涯に3万点もの作品を残した原動力はなんだったのだろうか。15年ほど前、旅行で立ち寄った小布施の岩松院で、畳二十一枚分の大きさに描かれた極彩色の「八方睨み鳳凰図」を見たときの感動は計り知れないものがあった。北斎87歳の時の作品である。

 89歳で亡くなる時の辞世の句「人魂でいく気散じや 夏野原」

好きな言葉

 私は「泉」という言葉が好きだ。一字では「心」「和」なども好きだが、「心」は魂のイメージ、人間を感じ、「和」は道徳的な響きがあるのに対して「泉」には心の故郷を感じる、ロマンティックな響きがある。

 泉といえば思い浮かぶ場所が二箇所。武蔵野と吹田市にある「垂水神社」である。

 私は武蔵野という言葉の響きが好きだ。国立市の大学に受験にいったとき、道端にこんこんと湧き出る泉の、湧き出ては崩れいく水の先端の水滴が、太陽の光を受けて光っていた。それが国木田独歩の「武蔵野」のイメージと心の中で重なったからであろう。春の野を感じた。

 詩人窪田空穂は幼年期を松本平野で過ごした。その通学路の情景を詠んだ「湧きいづる泉の水の盛り上がりくづるとすれやなほ盛りあがる」も泉を端的に表現していて好きな歌である。春の野である。

 垂水神社は大阪の千里丘陵の末端にある。神社の所在は知らなくても、志貴皇子の「石ばしる 垂水の上のさ蕨の 萌え出づる 春になりにけるかも」(万葉集)を知っている人は多い。大岡信氏の「折々のうた」の春の歌のトップに載られている。万葉集の中で額田王天武天皇の相聞歌「君が袖振る」と並んで私の好きな歌である。

 岳父がシュバイツアーの言葉として我が妻に「伏流水は泉になってこそ旅人の喉を潤す」と教えた。すなわち「心でいくら思っていても言葉や行動に表さなければ、心が相手に伝わらないよ」という。これも「泉」という言葉が好きになった一因かもしれない。

 言葉や漢字には人それぞれの「心の文字、言葉」がある。私には「泉」と並んでなぜか「椅子」にロマンを感じる。一体何故だろうか。また、考察をする。

カナブンとAI

カナブンとAI

 日経新聞でAI(人工知能)を使った「昆虫サイボーグ」の研究が進んでいるとの記事を読んだ。「カナブンにはAIによる生命が宿っている。背中に埋め込まれた電子回路が筋肉を刺激し、羽を動かす。衝突回避など虫が持つ生体機能と組み合わせた『生けるドローン』として無線で飛行を制御する。災害時の瓦礫の間に入って被害者を発見するという応用も期待できる」とシンガポール南洋理工大の佐藤裕崇教授が発表している。

 私は子供の頃から昆虫やトンボ、蝶々を観察するのは苦手である。苦手になったきっかけは、虫眼鏡で蝶々の目を見たときである。気味悪かった、グロテスクであった。その幼児体験が今に続いていた。ところが最近クローズアップのマクロ撮影にはまり込んでから、そのトラウマから徐々に抜け出し、虫の顔をよく観察をするようになった。目にピントの合ってない写真は使い物にならない。

 話は少し変わるが、夏になると我が家の怠け者の愛犬「クー子」が羽化寸前のセミ捕りに夢中になる。家の中で寝ていてもセミが地中から出た気配を感じると飛び出し、手に抱え込んでムシャムシャ食べている。多い時には一晩に5、6匹食べる。

 家人は「7年も地中で過ごしやっと出てきたところを捕るのはあまりにも可哀想」と犬の口からセミを取り上げて、近くの樹にとまらせた羽化させた。ところが一時間して経過を見に行く羽化がとまっている。そして近くにゴキブリがいる。ゴキブリ追っ払って一安心。しかししばらくして見に行くと今度は蟻が群がっていた。自然界の掟の厳しさを目の当たりにした。

 普段はあまり気にしない昆虫たちの能力は計り知れないものがあるようだ。前に聞いた話であるが、人工衛星太陽電池のパネルは衛星打ち上げ時小さく折りたたんでいるが宇宙で一気に羽を広げるメカニズムは、てんとう虫の羽の格納の研究からヒントをえたと聞く。

 カナブンとAIの記事を読んで、身近な昆虫の世界にも時代の波が押し寄せていると思った。しかしエジブト人は古代から「フンコロガシ」が宇宙を司っていると崇めていた。古代の人は昆虫の限りない能力を知っていたのか。

 昆虫から我が家の怠け者の犬、そして人工衛星と想像が広がり、ひととき暑さを忘れた。

 

 

 

 

安全な車 ボルボから軽自動車へ

ボルボから軽自動車へ

 昔スエーデンのボルボは安全な車の代名詞であった。世界で初めてシートベルトを装置した。またスエーデン鋼の強度も有名であった。世界一安全な車として世界中にその愛好者がいた。20世紀後半のアメリカ映画では登場人物をボルボに乗せることで少しインテリの役柄を強調した。

 昔私もボルボを三世代5回乗り換えた記憶がある。最初に買ったのは「アマゾン」と言われた戦車みたいな頑丈な車であった。その時のボルボを選んだ一番の理由は「頑丈で安全」であった。しかし最後はその電気系統の弱さに根をあげて日本車に切り替えた。

 最近まで自動車の安全といえば「ドライバーの安全」であった。しかし今は車の安全といえば「歩行者の安全」である。力点が変わった。

 この4、5年高齢者の操作ミスの記事が増えた。ブレーキペダルとアクセルペダルを踏み違えた、シフトを前進とバックと間違えたのが一番多く、人身事故に繋がったケースが多い。

 今ドライバーが一番心配しているのは自分が加害者になる人身事故である。人を感知すれば即停車するセンサーを装備した車を求めている。極論を言えば人体より弱い車が理想的である。最近、前のバンバーのエアーバックを装置した車が発売された。これも歩行者を守る考え方をコンセプトにした時代の流れを読み取ったものであろう。

 私も80歳になり運転免許を返還しなければならない歳になった。しかし60年車生活していると、車のない生活に踏み切るには非常な決心がいる。せめてオリンピックの年まで運転をしたい。この願いを叶えてくれるのは、今各メーカーがしのぎを削って開発競争をしている自動運転への技術である。

 今の車は、人を感知すれば停車する、誤発進をしない、車線をはみ出せば警告ブザーがなる、先行車との距離を保ちながら自動走行するが、人を感知して急停止する技術は自分で試すことができない。メーカーの説明を信用するしかない。

 今私の望む車は頑丈な車より潰れやすい軽自動車、そして誤操作を防ぐ装置がついており、人を感知し自動停車できる車である。「ドライバーの安全より歩行者の安全」を重視した車で2020年まで運転したい。