高齢者の免許証

高齢者の免許返上

 最近高齢者の交通事故がテレビや新聞で報道されることが多い。しかも通学途上の児童を巻き込み、悲惨なことになっている例も多い。関連して高齢者の運転免許の返納を促す記事も多くなっている。

 なぜ高齢者が運転を続けるのか。高齢になれば足腰が弱り、車がなければ生活圏がぐっと狭まる。これが運転を続ける最大の理由であろう。特に過疎地帯ではその不便さ切実である。路線バスが次々となくなり、近くにサポートしてくれる身内のない老人にとって車は生活をしていく上での必需品である。

 私はアメリカで発達している「ウーバー」のような「ライドシェア」が高齢者の移動手段として最高だと思う。少し復習すると「一般のドライバーが車の必要な人を乗せる」仕組みである。日本でも最近「滴滴」「ジャパンタクシー」が「ウーバー」のノウハウを使って、その分野に進出しだしたが、これには基本的な間違いがあることに気がついた。

 日本の場合、営業で他人を乗せるには国土交通省の認可が必要である。個人がその資格を得るのには大変ハードルが高い。また、タクシー業界の既得権を侵すことになる。

 新しがり屋の私は「ジャパンタクシー」と「滴滴」のアプリをスマホに入れているが使えない。スマホの画面には近くにタクシーの印が出ているが、実際は利用できませんとのメッセージが届く。

 最近その理由がわかった。たまたま「滴滴」と提携している「第一交通」の車に乗った時、タクシードライバースマホで呼んでも捕まらないというと、ドライバー氏曰く「我々高齢ドライバーは操作がわからないから、応答しない」。これが本音であろう。今のタクシードライバーの平均年齢から考えて、現状で「ウーバー」のようなシステムは何かミスマッチがあるようだ。

 潜在利用者はたくさんいるが、肝心の運転提供者が一般人に解放されない限り日本には根付かないと思う。

 しかしそこに商機がある。先ずは過疎地でNPO

が高齢者支援のドライバーを組織し、地方自治体で認可をとる。その実績を積み重ね国土交通省に一般ドライバーがタクシー行為をできるようにはららきかける。さすれば、高齢者の免許証返還への後押しができるであろう。

天使の分け前

サントリーウヰスキー「山崎」が品薄であるといわれて久しい。高校時代の同窓会で、友人がイギリス駐在の息子から「サントリーの『山崎』を出来るだけ集めて送ってくれ。得意先への贈答に使う」とメールが届き、方々に手配していた。ネットでは最高2万円の高値ものもあり驚いたと言っていた。ウヰスキーの本場のイギリスで日本のウヰスキーブームは続いているようだ。

 私はスコットランドシングルモルトのスコッチが好きだ。特に潮のかおりのする「タリスカー」がスコットランドのイメージとあう。少し高いが一年に1本ぐらい何か嬉しいことがあったときに買う。私はシングルモルトは単純でキレがいいいと思っていたが、本場のイギリスでは日本のブレンドウイスキーの良さが評価されだした。世界の品評会でも絶えず最優秀賞を確保している。

 びっくりしたのは、昨年香港のオークションで小売価額100万円の「山崎50年」が3300万円で落札されたという。また南さつま市本坊酒造ウヰスキーマルスモルテージ 3プラス25 28年」が13年に世界最高賞に輝いている。

 日本ウヰスキー人気の秘密はブレンド技術にあるようだ。オークやチェリーなどの木製樽で熟成された原酒を、日本に9人しかいない優れたブレンダーがブレンドすることによって独特の味を出す。これもジャパンクールの一つであろう。日本人の太古の昔から磨き抜かれた嗅覚と味覚が相まっての成果が、世界のウヰスキー愛好家に認められたのは喜ばしいが、我々庶民のウヰスキー愛好家には「山崎」が高嶺の花になり悩ましい。

 ウイスキーを木製樽の中で原酒を熟成させると量が減る。この減った分を「天使の分け前」と呼ぶ。木の味わいと香りを染み込ませる代わりに天使に分け前を払う。これを惜しんでは良い酒はできないといわれる。何か人生に通じる含蓄のある言葉である。

 人間も企業も熟成するには年月がかかる。しかし私のように82歳になっても熟成もせず、体力だけが年相応に衰えていくのも悲しい限りである。

 

 

 

 

スーパーマーケットの原点

 

 産経新聞で「ミニスーパー」の特集を読み、大阪都心の大型スーパーの苦戦を改めて知った。街の商店街をシャッター通りにした「大型スーパー」も今やアマゾンや楽天の通販に消費者を奪われ苦戦している。この傾向はアメリカのウォルマートやフランスのカルフールなども同じである。

 日本の最初のスーパーマーケットは、1958年神戸で産声をあげた中内功氏の「ダイエー」である。1980年代には一世を風靡した。ダイエーのモットーは「価額破壊」であった。「いくらで売ろうともダイエーの勝手、メーカーには文句は言わせない」と「ダイエー花王戦争」「ダイエー・松下戦争」でメーカーに挑戦しどちらも勝っている。1972年三越を抜いて小売業のトップになり、その後、南海ホークスのオーナーとなり、リクルートを傘下に収めた。またローソンも買収している。

 しかし、大型スーパーは徐々に衣料品は「ユニクロ」、家電は「ヨドバシ」「ビッグ」、家具は「ニトリ」等々の専門に特化した低価格メーカーにその地位を奪われた。そして「価額破壊」で消費者に圧倒的に支持された「ダイエー」も2015年「イオン」に吸収された。

 その「イオン」の岡田卓也社長が日経新聞の取材で、大型スーパーの苦悩を語っている。巨大化した組織がAI時代についていけない。その危機を乗り切ろうと社内でいくらハッパをかけても、従来通り「人海戦術」で危機を乗り切ろうとすると嘆き、新しいビジネスモデルの構築の拠点を中国に置くと宣言されている。

 岡田社長の苦悩を端的に表しているのが「ミニスーパー」であろう。今回産経新聞に載った「イオンエクスプレス大阪常葉町店」「KOHYO肥後橋店」「阪急オアシス新町店」「ミニエル西本町店」(ライフ)を見学して感じたのは、各々の親会社の小型版でしかない。アマゾンの無人店舗「Amazon Go」のような未来志向のモデルはない。

 コンビニのフランチャイジーの個人経営者が必死になって改革を求め新しいモデルを模索しているのに対して、大手スーパーの社員の発想力の硬直化を感じた。

 エリート社員の発想の中には、ミニスーパーは初期投資の費用が安い。営業時間が朝7時から午後9時で人材の確保がしやすい。販売単価がスーパー価額でコンビニの正価に対抗できる等々の狙いがあると思うが、この発想こそ岡田社長の求めるものとは違うと思う。そこに岡田社長の苛立ちと焦りを感じる。

 小売業の「省力化」を目指してアメリカで誕生したのがスーパーマーケットである。その原点の「省力化」を念頭に置いて、都心の四店舗に足を運び、岡田社長の悩みを直に感じてください。

 

縄文人

縄文人

 国立科学博物館が「縄文人の全ゲノム(遺伝情報)を解析し、縄文人が約三万八千前〜一万八千年前に大陸から集団でわかれたとみられることが分かった」と発表した。発見場所は礼文島・船泊遺跡である。

 縄文人は1万六千年前から三千年前まで日本列島に暮らしていたが、徐々に弥生人と交わった。そして現在縄文人から現代人に受け継がれたゲノムの割合は、本州の人は10%北海道のアイヌの人たちでは70%、沖縄の人たちでは30%であるとわかったという。

 遺伝子解析から復元された縄文女性の顔は2001年に公開された顔とは大きく違う。2001年の顔はチンパンジーをモデルにしたのではないかと思われたが、今回復元された顔は今でも見かける中年女性の顔である。今回はDNAの保存状態が極めてよく、30億対の塩基配列全てのゲノムを解読できたそうだ。

 一万五千年前の日本列島に現代人と似た人たちが生活していたと考えると何かロマンを感じる。稲作の弥生時代と違って縄文時代は狩猟・採取生活での平和な時代であった。その闘争を好まない遺伝子が日本人の性格の底流にあるとおもう。日本人はもともと穏やかな民族だ。歴史上に大量虐殺(ホロコースト)がない。あえて探せば信長の比叡山焼き打ちが思い当たるだけである。

 この穏やかな他を許す性格はどこに源があるかと考えた。一神教とは違って、日本人の自然崇拝・自然信仰に起因するようにおもう。一神教では「天地は神が創造し、人間は全て個々に神とつながっている」。それに対して日本人は「山」「川」「岩」「森」などの「自然界」に霊性を感じて帰依している。これは縄文人の心かもしれない。その自然信仰が神道につながり日本の国家形成に影響を与えたことを、「平成」から「令和」と元号が変わる時に執り行われた一連の儀式に私は深く感じた。

 令和になって百舌鳥・古市古墳群世界遺産登録、縄文人ゲノムの完全解明と歴史上の話題が多い。はるか一万年前の縄文時代から天皇制確立までの歴史ロマンを感じる。AIの驚異的な進歩の中で、古代に思いをはせる日々も楽しい。

 

 

 

 

万葉集に学ぶ

 

 新元号「令和」の出典が万葉集であると知り、中西進氏の「古代史で楽しむ万葉集」を読んだ。そこに天皇制確立の歴史に焦点を置いて書かれていた箇所がある。日本の歴史を学んだ人にとっては当然知っていることであると思われるが、私にとっては新鮮であった。少し復習をする。

 「天皇制の確立は『壬申の乱』(672年)に端を発している。天智天皇崩御の後天智天皇の息子大友皇子と叔父の大海人皇子天武天皇)が争った歴史上最大の事件である。この戦いで勝利した天武天皇が今の天皇制の基礎を作った。

 平成天皇の最後の公式行事は伊勢神宮への参拝であった。壬申の乱の時、吉野を出た大海人皇子天武天皇)が、一地方神である『伊勢の神』に戦勝を祈ったことにより、伊勢の神が皇室の尊崇を集め皇室の祖先神となった決定的契機で

 

あった。」と書かれている。 伊勢神宮といえば日本の古代神「天照大神」をお祭りしてあり日本人の原点であるとなんとはなく理解していたが。

 大海人皇子が吉野で挙兵した時、皇子の少数の側近舎人の力が原動力となった。舎人の力があれば大豪族の力などは災いをもたらすだけで不要であると皇子は確信し、天武天皇に即位してからは舎人(官僚)を側近に置き親政を行い、天皇を中心とする絶対的集権体制を確立した。

 そして日本書紀古事記を編纂させ、「天皇家の由緒正しさ」を正当づけ「大君は神にしませば」の思想を官人に徹底的に植え付けた。爾来1130年、今日まで日本人の原点になっている。

 私は大化改新で入鹿一族から権力を奪った中大兄皇子天智天皇)と弟の大海人皇子天武天皇)そして額田王の三角関係に興味があり、この時代に天皇制が確立したことを少し忘れていた。それは額田王の「あかねさす紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る」の強烈な印象で脳裏に焼き付いているからである。

 中大兄皇子天智天皇)は弟の大海人皇子の美人妻の額田王に横恋慕して、取り上げ自分の宮殿に入れた。その見返りに実娘鵜野讃良を大海人皇子に嫁がせた。この鵜野讃良がのちの持統天皇である。天智天皇天武天皇そして持統天皇と続く天皇家の体制確立の時代に編纂された「万葉集」が今回の元号の出典になっていることにロマンを感じる。天皇家の弥栄を祈る。

平成から令和へ

平成から令和へ

 新元号の発表の一瞬、国民の多くの人がテレビに吸い込まれていたと思う。やはり歴史的一瞬であった。菅官房長官が「令和」の額を掲げた時、私は一瞬戸惑った。それは「令」の文字の硬さと「和」の柔らかさが同時にあることへの違和感であったと思う。

 故白川静博士の白川文字学によると『「令」は象形で神官が冠をつけてひざまずいて神意を聞いている形。古くは「令・命」二つの意味で用いています。元々は「神のおつげ」、そこから「おふれ」「いましめ、おしえ」「よい、ただしい、めでたい」「させる、いいつける」の意味になりました』とある。'
 『「和」は、会意で「禾」+「口」で表されます。「禾」は軍門(陣営の門)のしるしの形であり、「口」は「誓いを収めた器」とされています。軍門の前で講和の誓いを行うと、平和になります』と書かれている。

 「平和になるように」との願いが込められていると解釈するのが一番いいと思う。しかし、はじめは「令」は「命令」「律令」、「和」は「平和」を連想させ剛と柔の組み合わせに違和感を覚えが、漢字の持つ意味を調べると、なかなか「含蓄」のある元号だろう。

 「平成」は1989年の「ベルリンの壁崩壊」から始まり、東西冷戦が終結し世界中が平和になったとの開放感に浸りまさしく「平に成る」と思った。しかし30年経った今、平成の評価は「停滞の30年であった」となる。

 1979年には「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と世界中から賞賛されたが、現在のGNP世界3位になった。経済成長は0%、新卒の初任給は30年間変わらない異常な時代であった。この事態を招いた最大の原因は「企業の自己資本比率8%」がグローバルスタンダードだとアメリカから押し付けられ、官民あげてこれを信じことにあると私は思う。

 今のアメリカや中国そしてイギリスは自国の利益に反することには毅然として対応している。1992年の「自己資本比率8%」をアメリカから押し付けられた時、日本こそが「世界基準」だと反発していれば、山一證券の倒産(1997)もなかったかもしれない。給料も順調に上昇し確実な成長を遂げていたかもしれない。給料が上がれば少子化の問題も起こらなかったかもしれない。

 「令和」の時代は各国の利害が一段と激しくなると思う。自己を確立し世界に自国の主張をはっきり発信する。これが天からの「令」である。

 

ベイシックインカム

ベーシックインカム

 2045年人工知能(AI)が人間の能力を超える時点をシンギュラリティという。その時点で大部分の人が失業すると予測される。その対策として「ベーシックインカム」(政府がすべての人に必要な最低限の生活を保障する金額を無条件に支給する)の導入がいろんな国で議論され、フィンランドのように限定した条件で実験された例もある。

 今注目の経済学者井上智洋氏はその支給額を一人頭7万円と仮定していろんな試算をしておられる。この月額7万円は生まれたばかりの子供にも高齢者にも一律支払われる。例えば夫婦と子供2人では月額28万支払われる。国民1億2千万人とすれば84兆円の財源が必要である。この財源の確保を如何にすべきかが今後の議論のあるところである。

 しかし、財源問題はさて置き、そのメリットを考えてみると、まず社会保障関係(生活保護、年金、健康保険、児童手当)などにかかる費用34兆円(現在)が削減される。それに加えて、それに関わる公務員が削減される。教育や社会格差がなくなる。地域格差が減少する。いじめや幼児虐待も減少する。そして何よりも人間らしい生活を享受して地上の楽園が実現できる。

 1970年代に一度アメリカで導入された例がある。その時、男性は「自分たちの権威が失われ女性が独立し離婚が増大する」と反対し短期間の実験に終わったと聞く。のちに離婚が増大したということはない。統計の取り間違いとわかったというオチがある。

 最近イタリアのある地方都市で、大衆迎合の政党が「ベーシックインカム」を党の公約に掲げて勢力を伸ばしている。「ベーシックインカム」を単にお金のバラマキのように利用する「ポピュリズム」政党が輩出すれば、その本来の目的から外れ「怠け者」ばかり作ってしまう恐れがある。悪い例ではあるが、日本の生活保護者の一部が支給されたお金をパチンコなどのギャンブルに使っているような事態の可能性もある。

 大半の人が職を失う時代までにはまだまだ時間がある。しかしその時に備えて今からしっかりと議論をし、国民がそのベーシックインカムの考えをよく理解しなければならない。決して党利党略の道具に使わないよう国民を教育しまた我々も勉強しなければならない。

 この「ベーシックインカム」が定着した社会はこの世の極楽浄土かもしれない。