2017.7.20目には青葉

2017.7.20 目には青葉 山時鳥 初鰹

 高校時代の友達と新緑の京都「哲学の道」を歩いていた時、生物学専攻の彼は「我々は緑色に対して特殊な識別能力を持っている」との話をしてくれた。「人間は緑色を3万色ぐらい見分けることができる。白い紙に同じ枝からとった葉っぱを10枚ぐらい並べて実験してみるとよくわかる。葉っぱの微妙な色の違いを試してみると良い」とやって見せてくれた。なるほど彼のいう通りである。微妙な10色の緑色を識別できた。

 なぜ人間が緑色に対してそのような能力を持ったのか。彼は「原始人は採取生活から始まった。葉っぱが主食であった。だから食べられる草木を見分けるために緑色に対して特殊な能力を取得したからだろう」という。なんとなく説得力があった。

 ところが日常生活では「青」と「緑」の区別に混乱がある。一番典型的なのが交通信号である。交通信号機の色は「緑赤黄」であるが、幼稚園で交通マナーを教えるときに先生は「赤で止まりましょう」「青で渡りましょう」といっている。

 この混用はいつ始まったのかを考えるのも面白い。わたしの目には山野を見て「青」と「緑」は区別できる。空の色は「青」山の色は「緑」である。しかし「古事記」の倭建命の「大和は国のまほろば たたなづく青垣山こもれる大和しうるわし」また万葉集の「青丹よし 奈良の都は 咲く花の 匂ふが如く 今盛りなり」と山野を表現するのに「青」が使われている。採集生活をしていた古代人は「緑」「青」を厳密に区別できたのに表現するとき、なぜ「緑」を「青」というのだろうか。

 この原稿を書いていて、はたと気づいた。我々は「紫」を高貴な色と思うことに、その青と緑の混用の原因があるのではないか。ちなみに603年に冠位十二階を作った時「紫色」が最も高貴な色と定められた。人は紫に特殊な感性を持っているらしい。

 国の褒め言葉に「青垣」や「青丹よし」と書く。それが「目には青葉 山時鳥 初鰹」の句につながっているのでないだろうか。日本人の高貴なものへの憧れが積み重なって「緑を青」と混用したのか。欧米では信号は「グリーン・イエロー・レッド」である。少し乱暴な推論である。