2017.9.20安倍仲麿

2017.9.20安倍仲麿

 甥に孫が生まれたと報告を受けた。命名を京都の「晴明神社」にお願いしたと言う。命名をお願いすると候補を5つあげてくださりその中から選ぶ。なんとはなく厳かな感じを受けるのはやはり安倍晴明のご威光か。

 大阪にも「阿倍王子神社」の北50メートルに「安倍晴明神社」がある。聞くと安倍晴明の誕生の地との伝承もある。また、安倍晴明のお母さんは白ギツネとも言われ、その地に葛葉稲荷がある。落語の「信太の狐」の話はこのことを踏まえてつくられたのかもしれない。

 安倍晴明のご先祖には安倍仲麿(阿倍仲麻呂)がおられる。安倍仲麿の「あまの原ふりさけ見ればかすがなるみかさの山にいでし月かも」(古今和歌集)は百人一首の中でも人気で、子どもの頃「ごまめ」の子供に優先権がある歌(札)であった。

 江戸川柳に「日本で九十九人は死んだなり」がある。初めて聞いた時なんのことかわからなかったが詳しく聞くと、百人一首歌人の中で安倍仲麿だけが唐の国で死んだことを江戸の人が川柳にしたという。仲麿がいかに日本人の心の琴線に触れる人かがわかる。

 安倍仲麿は第9次遣唐使(717)で留学生として唐に渡った。同じ船には「玄昉」や「吉備真備」がいる。留学生は20年後の次の遣唐使船が来るまで唐とどまり、唐の文化を吸収し日本に持ち帰る使命がある。その中で仲麿は中国の科挙の試験に合格し、玄宗皇帝の秘書官になり寵愛を受けた。何度も日本への帰国を申し出るが許されない。

 仲麿が玄宗皇帝、楊貴妃安禄山そして王維、李白と同じ空気を吸ったと思うだけでもロマンを感じる。仲麿も36年ぶりに帰国を許される。その時、当代の有名人王維李白らの居並ぶ席で詠んだのが「あまのはらふりさけ見れば」である。しかしその帰国の船が難破して今のベトナムまで流され人食い人種に追われながら唐の都長安までたどり着いた。

 同時代で我々のよく知っている人物に鑑真がいる。仲麿が帰る予定であった第10次遣唐船が帰国する時、65歳の鑑真も乗っている。遭難し奄美大島し流れ着きやっと平城京にたどり着き聖武上皇孝謙天皇ら四百四十人に授戒を授けた。

 安倍仲麿は日本の歴史と唐の歴史の中でその人生を全うした人である。巷の説にいまの安倍晋三首相は仲麿の末裔という話もあるが。ちょっと無理があるかな。