風立ちぬ 神風特攻隊

宮崎駿の「風立ちぬ」を封切り初日に観た。宮崎駿の長編アニメは「風の谷のナウシカ」から数えて11作目であると云う。ところが私は宮崎駿のまんが映画を見るのは初めてである。夏休みの公開ということもあって子供向けのアニメ映画だと決めてかかっていたが。

 この夏NHKで「零戦」の話が続いた。また、百田尚樹の「永遠の0」を読んで、あらためて日本の零戦の素晴らしさを再認識した。小学校1年の時、画用紙いっぱいに繰り返し、繰り返し「零戦」をクレヨンで描いたことも、潜在意識として映画を観るきっかけになったのだろう。

 第二次世界大戦の記憶の中で「零戦」は輝き、そして神風特攻隊の悲しき思い出となっていった。昭和14年9月13日が零戦の初舞台であった。漢口から重慶への爆撃機の護衛で敵戦闘機27機を殲滅した。その時の隊員三上一禧はNHKの番組で「先に光を見出したような気がした」と述べている。

 天才堀越二郎が設計した零戦真珠湾攻撃の主役となり、そして敗戦の色が濃くなった時に「神風特攻隊」としてその歴史を終えた。特攻機は2700余人の若き兵士とともに太平洋の藻屑となった。

 歴史に残る名機「零戦」が何故その悲しき末路を迎えたのか。インターネットで「零戦」「特攻」「陸海軍の中将」で検索して意外な事実を知った。そこに当時の日本の指導者のおごりと無能を感じる。

 特攻隊の産みの親となった二人の中将がいる。海軍の大西瀧治郎と陸軍の富永恭次である。海軍の大西瀧治郎中将は終戦の時「多くの若者を死なせた全責任をとり割腹自殺」をしている。それに反して陸軍の富永恭次中将は、フィリピン決戦の時、若き零戦搭乗員に「諸君はすでに神である。君等だけを行かせはしない。最後の一戦で本官も特攻する」と訓示を垂れ基地にいた400人全員を戦死させた。その後フイリッピン陥落後、彼は台湾に逃れ、最後はシベリアソ連軍の捕虜となり昭和30年復員船「興安丸」で舞鶴に帰ってきている。

 海軍の大西中将は昔の武士道を守った。しかし、陸軍の富永中将に2.21事件から集団ヒステリー状態に陥った日本の指導者の典型的な姿をみる。集団社会を営むときに突然変異のガンのような人物がうまれ、組織を破滅に導くことの恐ろしさを知るべきであろう。

 「堀越二郎」、「宮崎駿」と「零戦」から悲しい神風特攻隊と裏切り者の存在を知り、このことが風化しないようにここに書く。(2013.10の世相雑感)