好きな言葉

 私は「泉」という言葉が好きだ。一字では「心」「和」なども好きだが、「心」は魂のイメージ、人間を感じ、「和」は道徳的な響きがあるのに対して「泉」には心の故郷を感じる、ロマンティックな響きがある。

 泉といえば思い浮かぶ場所が二箇所。武蔵野と吹田市にある「垂水神社」である。

 私は武蔵野という言葉の響きが好きだ。国立市の大学に受験にいったとき、道端にこんこんと湧き出る泉の、湧き出ては崩れいく水の先端の水滴が、太陽の光を受けて光っていた。それが国木田独歩の「武蔵野」のイメージと心の中で重なったからであろう。春の野を感じた。

 詩人窪田空穂は幼年期を松本平野で過ごした。その通学路の情景を詠んだ「湧きいづる泉の水の盛り上がりくづるとすれやなほ盛りあがる」も泉を端的に表現していて好きな歌である。春の野である。

 垂水神社は大阪の千里丘陵の末端にある。神社の所在は知らなくても、志貴皇子の「石ばしる 垂水の上のさ蕨の 萌え出づる 春になりにけるかも」(万葉集)を知っている人は多い。大岡信氏の「折々のうた」の春の歌のトップに載られている。万葉集の中で額田王天武天皇の相聞歌「君が袖振る」と並んで私の好きな歌である。

 岳父がシュバイツアーの言葉として我が妻に「伏流水は泉になってこそ旅人の喉を潤す」と教えた。すなわち「心でいくら思っていても言葉や行動に表さなければ、心が相手に伝わらないよ」という。これも「泉」という言葉が好きになった一因かもしれない。

 言葉や漢字には人それぞれの「心の文字、言葉」がある。私には「泉」と並んでなぜか「椅子」にロマンを感じる。一体何故だろうか。また、考察をする。