遠野に旅する

遠野に旅する(1017.11.20)

 六十年来の念願が叶って遠野(岩手県)へ行った。柳田國男氏の「遠野物語」にある「デンデラノ」「ダンノハナ」「カッパ淵」に、わが身を置いてその雰囲気を感じたいとの思いで旅に出た。

 遠野物語には大きく分けて、「河童の話」「姨捨の話」「人攫いの話」「山犬(狼)の話」「オシラサマ(信仰)の話」がある。

 「河童と姨捨の話」は人減らしの悲しい伝説である。

今回の旅行で観光タクシーの運転手が、「遠野の河童は赤いです」といった。私の河童のイメージはなんとはなく「青緑」であるが、遠野の河童が赤色で赤い舌を出したと聞き、とっさに「水子」だと思った。飢饉の時、生まれた子を間引きした親の悲しみと子を思う心が、せめて河童の形になってでもこの世に存在してほしいとの思いが河童伝説を生んだのであろう。

 「姨捨の話」は全国にある。遠野の場合は南部藩の殿様の命令で、「生産活動もできない年寄りは、年貢徴収の妨げになる、60歳になれば山に捨てよ」との決まりがあった。捨てられた年寄りが集団生活をした場所を「デンデラノ」(蓮台野)という。「墓入り」した老人も元気なうちはそこで農作業をして収穫物を町へ売りに行き生活の糧とした。死ぬと向かいにある「ダンノハナ」(墓地)に入る。この「墓入り」が「はかがいく•はかどる」の語源になったともいわれる。悲しい話である。

「人攫いの話」も多いが、これは昭和の初めまで全国に20万人いたといわれる「山窩」が、村に降りて若い娘さんを攫って妻にしたことだと思う。「山窩」については、三角寛著「山窩は生きている」(河出書房)に詳しい。また、五木寛之氏の「風の王国」は「山窩」の話である。ご参考までに。

 「山犬」は狼のことで明治の中期まではたくさんいて、人に害をなしていたようだ。狼に馬を食い殺されて家が没落していく話もある。鉄砲が一般に普及して害獣として殺され、明治38年東吉野村鷲家口で捕獲された日本狼が最後である。

オシラサマ」の素朴な人形が資料館にたくさんあった。どれも土着宗教が盛んであったことをうかがわせる。そのためか関西地区に比べて遠野にはお寺が少ないような気がする。これは昨年旅行した秋田県でも感じたことである。

 昔の東北地方の悲しく寂しい農民の生活に思いを馳せ念願の遠野旅行を終えた。