火焔型土器を聖火台に

 縄文時代は一万年続いた平和な時代であったという。 世界史上一番長く平和が続いたのは江戸時代の二百五十年と言われているが、縄文時代の平和は一万年続いている。ただ文字がなかったので戦争があったかどうかの記録はない。

 しかし発掘される遺跡の墓地からは不慮の死の痕跡があるのは1.4%であるという。おそらく新石器時代後の縄文時代は平和で、部族が仲良く協力して狩猟、漁労、木の実の採集をして暮らしていたのであろう。

 縄文文化の象徴である国宝の火焔型土器は新潟県十日町市の博物館にある。信濃川沿いに火焔型土器の分布が広がり南は沖縄まで伝播していった。一度信濃川の火焔街道を歩いて見たい。

 「太陽の塔」作者の岡本太郎が火焔型土器を見て「なんだ!これは!」と叫んだという。岡本太郎は火焔型土器に縄文人の「火」に対する敬虔な祈りの心とその造形の力強さとに圧倒されたのであろう。そこには縄文人の「火」に対する思いが込められている。

 縄文土器は「放射性炭素分析法」による年代測定では約一万五千年前と世界で一番古い。西アジアメソポタミア)の土器は九千年前である。縄文土器は六千年も先行している。最近までは縄文土器は中国大陸から伝播してきたとの説が有力であったが、縄文人が世界で最初に土器を作ったことを「炭素年代測定法」が証明した。

 縄文研究の第一人者國學院大学名誉教授小林達雄氏は「縄文時代の採取生活と、自然を開拓して農作物を作る農耕社会との違い」を説明し、「自然と共生した」縄文文化と「自然を克服する」大陸文化と対比されている。

 日本も大陸から稲作文化が入り、弥生時代には「自然を克服する」社会になった。稲作のための耕作地争いが起こり、縄文の共生の社会から部族間の闘争の時代になった。支配者と被支配者が生まれ天皇を中心とした日本国が出来上がった。

 6世紀に仏教が入り、江戸時代に儒教が入り、明治時代にはキリスト教を基盤とした西洋文化が入ってきた。この三者現代日本人の精神構造を形成しているか。

 否である、伊勢神宮を中心とした神道がある。これは縄文時代の自然との共生が基盤になっている。一万年続いた縄文時代弥生時代以降二千五百年とでは文化度が違う。

 日本人は縄文時代の「自然との共生の文化」を大切にしている。その象徴の火焔型

土器をオリンピックの聖火台に飾ることで日本文化を世界にアピールしたい。