万葉集に学ぶ

 

 新元号「令和」の出典が万葉集であると知り、中西進氏の「古代史で楽しむ万葉集」を読んだ。そこに天皇制確立の歴史に焦点を置いて書かれていた箇所がある。日本の歴史を学んだ人にとっては当然知っていることであると思われるが、私にとっては新鮮であった。少し復習をする。

 「天皇制の確立は『壬申の乱』(672年)に端を発している。天智天皇崩御の後天智天皇の息子大友皇子と叔父の大海人皇子天武天皇)が争った歴史上最大の事件である。この戦いで勝利した天武天皇が今の天皇制の基礎を作った。

 平成天皇の最後の公式行事は伊勢神宮への参拝であった。壬申の乱の時、吉野を出た大海人皇子天武天皇)が、一地方神である『伊勢の神』に戦勝を祈ったことにより、伊勢の神が皇室の尊崇を集め皇室の祖先神となった決定的契機で

 

あった。」と書かれている。 伊勢神宮といえば日本の古代神「天照大神」をお祭りしてあり日本人の原点であるとなんとはなく理解していたが。

 大海人皇子が吉野で挙兵した時、皇子の少数の側近舎人の力が原動力となった。舎人の力があれば大豪族の力などは災いをもたらすだけで不要であると皇子は確信し、天武天皇に即位してからは舎人(官僚)を側近に置き親政を行い、天皇を中心とする絶対的集権体制を確立した。

 そして日本書紀古事記を編纂させ、「天皇家の由緒正しさ」を正当づけ「大君は神にしませば」の思想を官人に徹底的に植え付けた。爾来1130年、今日まで日本人の原点になっている。

 私は大化改新で入鹿一族から権力を奪った中大兄皇子天智天皇)と弟の大海人皇子天武天皇)そして額田王の三角関係に興味があり、この時代に天皇制が確立したことを少し忘れていた。それは額田王の「あかねさす紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る」の強烈な印象で脳裏に焼き付いているからである。

 中大兄皇子天智天皇)は弟の大海人皇子の美人妻の額田王に横恋慕して、取り上げ自分の宮殿に入れた。その見返りに実娘鵜野讃良を大海人皇子に嫁がせた。この鵜野讃良がのちの持統天皇である。天智天皇天武天皇そして持統天皇と続く天皇家の体制確立の時代に編纂された「万葉集」が今回の元号の出典になっていることにロマンを感じる。天皇家の弥栄を祈る。