雀を殺す ブラックユーモア

 日本人でピュリツァー賞を受賞した写真家が三人いる。1961年「浅沼社会党委員長の暗殺」で受賞した毎日新聞の長尾靖、1966年「爆撃からの逃走」UPI通信社の沢田教一、1968年「静かな雨、静かな時」UPI通信社の酒井淑夫である。1942年に始まり2020年までの78年間で三人である。

 1961年(昭和36年)は私が社会人の第一歩を踏み出した時である。当時は第一次安保闘争の影響が色濃く残っていた時代であり、若者たちは左翼に親近感を持っていた。その時代背景の中で総選挙を迎え、自民党池田勇人社会党浅沼稲次郎民主党西尾末広の党首立ち合い演説会で「浅沼稲次郎氏の暗殺事件」が起こった。今は70歳以上の人しか覚えていないかも知れない。

 私はピュリツァー賞受賞写真全記録(日経ナショナルジオグラフィック)で暗殺の瞬間をとった写真を見て、浅沼稲次郎氏の1959年日比谷公会堂での訪中帰朝報告を思いだした。当時の中国は毛沢東の第二次5ヶ年計画「大躍進」の最中で、中国を訪問し毛沢東に大歓迎された浅沼稲次郎氏は「中国には『ハエ』は一匹もいない『密集耕作された稲の上を歩ける』」と報告した。私は、中国は素晴らしいと感激しそのことを強烈に覚えている。この原稿を書くにあたり、念のため私の同世代の友人に確認したところ、彼も新聞に「イネの上に子供が座っている写真を見た」という。

 当時中国は食料増産の大号令のもと、稲を守るため「ハエ」「ネズミ」「蚊」「雀」の撲滅運動をしていた。雀は実りの米を食べるから駆除の対象になったらしい。雀の駆除方法が面白い。村人総出で一晩中、雀が「雀のお宿」に帰れないように銅羅を鳴らし、雀を睡眠不足に追い込み何十万羽をも殺したという。雀を殺した結果、雀が食べていた害虫が蔓延し大飢饉となり4500万人が餓死、その政策に異議を唱えた250万人が拷問などで虐殺された。嘘のような話である。この狂気が後の文化大革命につながった。

 今考えれば浅沼稲次郎氏の話を信じたことが不思議である。報告した本人はもちろん報道したマスコミにも、何か左翼が国民の味方であるような勘違いがあったのかも知れない。その遺伝子は今も立憲民主党や国民民主党に受け継がれているかも知れない。

 中国共産党の狂気の「大躍進」「文化大革命」の遺伝子は習近平党総書記にもあるかもしれない。左翼系の新聞社の論調には気をつけなければならない。中国のことを考えるときには、必ず「稲の上を歩けるか?」をおもい出そう。