北里柴三郎とノーベル賞

北里柴三郎ノーベル賞

 1894年、香港で大流行をしていたペスト菌を発見し、その治療法を確立した北里柴三郎博士がなぜノーベル賞を受賞できなかったかを調べた。2007年1月号北海道立衛生研究所機関紙「しゃりばり」に掲載された北村浩一氏の論文にその答を見つけた。氏の論文を引用しながら北里柴三郎博士がノーベル賞を受賞できなかったかの経過を辿りたい。

 北里柴三郎氏は東大医学部卒業後、内務省衛生局の留学生としてドイツの「コッホ」の研究所に留学する。そして破傷風菌を発見「血清療法」という治療法を確立させた。氏は留学直前、東大医学部で緒方正規氏(東大医学部講師)から細菌の扱い方を学んでいた。この緒方氏が北里氏が留学したその年に「脚気菌」を発見したと発表した。

 北里博士はこの「脚気菌」についての研究を行い「脚気とは無関係である」という論文を発表した。師に楯突いたと学会では北里氏を「忘恩の輩」して非難した。この中には陸軍軍医総監の森鴎外氏も北里博士を激しく非難する論文を発表している。脚気ビタミンB1不足に起因すると発表した鈴木梅太郎氏をも散々非難した。その後も緒方正規氏が「脚気菌」説を続けたため、日清・日露戦争では脚気で3万人を超える兵士を死亡させた。

 この東大の学閥が1901年に創設された「ノーベル生理学・医学賞」の北里柴三郎氏の「生理・医学賞」の受賞を妨げた。そして「ペスト菌」発見の二番手のドイツのコッホの弟子のベーリングにその名誉を譲ってしまった。

 この学閥の弊害はここかしこに見られる。例えば「邪馬台国」の北九州説(東大系)と畿内説(京大系)が有名である。東大系の歴史学の大御所、白鳥庫吉(1865−1942)が明治43年「九州説」を唱えた。これに対して、京大の内藤湖南が「畿内説」を唱える。大御所に反する発表は今も厳としてご法度である。私はある講演会で若手の古墳研究者が、受講者の質問に苦笑いしながら言葉を濁したことを思い出す。

 日本の社会では派閥が横行する。学問の世界でも実業の世界でも派閥に属さない人は地位の確保が非常に困難である。

 それを嫌って優秀な人材が海外に流出してしまう。例えば北里氏が受賞できなかったノーベル生理・医学賞をその後受賞した日本人は、1987年利根川進氏(マサチューセッツ工科大)2012年山中伸弥氏(カルフォニア大)2015年大村友智氏(ドリュー大)は若い時の海外での研究成果である。嬉しいことに2016年大隅良典(東大)2018年本庶祐(京大)は日本での研究の成果である。

 昨年来の学術会議の議員任命のドタバタ劇を見ても悲しい習性が日本人にはあるように思う。